日々モロ

日々の出来事(2023年9月30日〜10月7日)

名古屋に移住して早くも3ヶ月が経過した。

暑さもようやく収まり、まともな思考が出来る様になってきた。歩き回っても汗もそれほどかかないし、Yogiboに寝転んでも快適だ。因みに7月にYogiboを買ったのだが、正直、夏にYogiboは暑い。

これからはいろんなところに行けるかな。公園で過ごすのに最適な季節になったが、それも束の間だろう。冬場はCat Cave Baseで過ごすのはキツイかな。でもまあ、それはそれ、これはこれでやって行きましょう。

9月30日。

ヒロくんから連絡あり、”Brooklyn Masa”こと、NY生活30云年で電撃帰国を果たしたマサくんの絵の個展があると言うので行ってみた。

STILL THINKING COFFEEさんの店舗真正面画像。


場所は地下鉄伏見駅から徒歩5分ぐらいの [ STILL THINKING COFFEE ] 。聞けばかつて名古屋のクラブ・シーン、ストリート・ミュージック・シーンを幅広く紹介していたフリー・ペーパー [ ROOTS MAGAZINE ]を編集していたK氏のお店だという。アキソルのプロモーションで大変お世話になった媒体だ。僕が訪れた時にはKさんはいらっしゃらなかったが、その節は大変お世話になりました。

お店はやはりKさんプロデュースといった感じ。様々な名古屋のお洒落な人たち、クリエイティヴな人たちとのPOP UPショップ的なコラボであったり、こうしたアートの個展であったり、単なるカフェというよりも、ストリート・カルチャーの発信源となっている様だ。

マサくんの展示は、今年の「HIP HOP50周年」にリンクしたものとのこと。T-シャツに直接スプレーで吹いた作品や、手書きのもの、スプレーで描いた大きなバナーなど、本場NYで長く暮らして実際多くのHip Hopアーティストとも交流のあった彼らしい作品群であった。

https://s-t-coffee.com

10月1日。

この日は千種区民祭りが平和公園メタセコイア広場(即ちそこの片隅が僕のCat Cave Baseなのだが)で行われた。

フリーマーケットの通り。
ウチの店舗。好評だった。
これで400円はお値打ちなんじゃないですか?知らんけど。

奥さんの妹タカちゃんが前々からそれのフリーマーケットにエントリーしていたのだ。僕はその用具係兼トランポ。当日は生憎の小雨混じりの空模様。前日もその翌日も晴れだったのに残念だ。

我々チームは、2人がもう着なくなった洋服や小物、アクセサリーと、メインはタカちゃん手製の松ぼっくりのクリスマス・リース。タカちゃんは結構クリエイティヴで、このリースも完成度が高く、お値打ちだ。

コアラッチ。千種区のゆるキャラだ。

メインのステージ前では和太鼓や琴、大道芸などのプログラムが行われていた。かつてこの10年ぐらいはこういう仕事を沢山やったよなあ、と感慨にひたる。まあオレのスピーカーの方がいいスピーカーだけどな。

贔屓目に見ても、まあまあ売り上げたんじゃないかと思う我々のブース。撤収して乗り込んだ車で早々と来年のエントリーを宣言したタカちゃんであった。

10月5日。

元Rose Jets、現Especialsのベーシスト、シンジ氏のアメカジ・ショップ「以蔵」と、シズカさんのカフェ「トライアングル・カフェ」の12周年ウィークにお邪魔してきた。両店舗は同じ建物の1階と2階に位置している。

アメカジ・ショップ「以蔵」ではセールをやっており、「トライアングル・カフェ」では全てのドリンクの価格が300円という大盤振舞い。

アキくん夫妻と息子の龍弥、ヒロくん夫妻と椿ちゃん、アキソルお母さん、アキソル従兄弟の千ちゃん、Especials山森、などなど、まだ僕がお名前の分からない方々にも混ぜて頂き、楽しく過ごさせて頂いた。

前々からシンジ氏のパンク・ロック愛については聞いていた。お店のそこここに、そういったセンスを感じる。僕も今でこそスタイルは違えど、パンク・ロックは自分のルーツ・ミュージックだと思っている。高校生の時は、パンク/ニュー・ウェイヴを聴きまくり、中でもThe ClashとThe Jamの大ファンだった。そして、ジョン・ライドンがかつて語った「変化こそがパンク・ロックである」的な言葉に大いに感銘を受け、自分なりにそんなスピリッツを感じる音楽を追い続けた結果が、今の僕なのである。

一昨年購入したDVD「白い暴動」を今度持っていくと約束した。1978年4月にRock Against Racizmが呼び掛けて起こった10万人デモ大行進を、当事者たちが回顧するドキュメンタリー映画である。

そう言ったら、The ClashがTV番組に出演した映像を集めたDVDを貸してくれた。家に帰って見たら、僕の中で何かが熱くなった。

10月7日。

こいつが突然名古屋に現れた。

こいつです。こいつ。

この日は久々に歩いて池下まで行き、「からめ亭」のあんかけパスタでも食べようかと思い、朝食を若干セーブして備えていた。そろそろ家を出ようかと思った13時頃、突然、この男、鈴木大輔から電話が。出る前に直感で「こいつはもう名古屋にいる」と分かった。

大輔は、僕がジャマイカから戻ってほどない時期だから28歳の頃、多分、奴が18歳の頃に知り合った。かれこれ30年以上の付き合いの曲者だ。Brain Busterであったこともあるし、離脱したりもしたし。

名古屋においては、アキソルの錦コミュニケーションズを3度(!)も出戻りして、現在破門&絶縁中の大問題児である。名古屋在住でそんな奴はまず考えられない。なので都合5年ぐらいは名古屋に住んでいた経験もある。世話になった人も沢山いるのだ。あ、児っていうのはどうかな。こいつも来年50歳の立派なオッサンである。

根は真面目な部分もあり、尚且つ音楽的なセンスは良く、大人しく無口だが頭の中は結構な変態、という面白い人物だが、頑固で意固地でもある。

全くお酒を体が受け付けないので、運転手として重宝なので、よく僕ら夫婦と出かけたものだった。が、僕が移住する直前は誘っても出てこなくなり、ウチの奥さんなどは「嫌われちゃったのかな」と気を揉んでいた。なので小田原にいるマサヒロやトシに「オレが居なくなったら大輔を誘う奴がゼロになる可能性があるから、たまに思い出したら気にかけてやってくれ」などと言い残したぐらいなのだ。

それが電話で開口一番「今日は何をやってるんですか?」じゃないのよ。

でもまあ、笑っちまったし、正直、嬉しいと言えば嬉しかった。こいつが事前に連絡して予定を組んで来ることの方が考えられない。らしいと言えば、最もらしい登場の仕方である。でもよりによって移住後、最初に小田原から尋ねてくる奴がこいつだとは。

「食欲の秋だから名古屋飯が食べたくなった」のだと。で「来ました」のだと。朝7時に出たんだと。焼津からはずっと下道で来たんだと。

そうやって言うが彼なりに行き詰まっているのは僕には分かる。僕は彼に手厳しいけど的確なことしか言わないので、そうした行き詰まりを打破したくて会いに来たのだろう。

しょうがないからまずからめ亭に行き、あんかけスパを食べ、味仙に行きたいというのだが17時半からなので、一旦、大曽根のスーパー銭湯「湯の城」に行って時間を潰した。

18時頃、奥さんと合流し、今池味仙に向かうも店の前には既に大行列が。なのでひとまず吹上の風来坊で手羽先を食べることにした。だが吹上の風来坊も19時半以降は予約が入っていて1時間しか滞在出来ないという。忙しないが手羽先と大アサリだけ食べて店を出た。それでも手羽先だけで大輔は三人前ぐらい食ったけどね。

味仙を再訪するにはまだ早い。奥さんは久々に呑みモードになっていたので、彼女の希望で御器所の「今ここ」に行くことにした。「今ここ」は、僕がアキソルと一緒に、最も名古屋でよく行く店だ。「大輔くん、ウチに泊まっていき」と盛んに彼女は勧める。だから〆で台湾ラーメンを食べよう、という提案だった。

だが僕は分かっていた。こいつは絶対に泊まらない。その行程がどんなに無茶でも。

「今ここ」で大輔が「もう僕、腹パンです。味仙はもう無理ですよ。」と言い出した。そりゃ手羽先三人前も喰えばな。奥さんはもう少し一緒に過ごして泊まっていくことを望んでいたが、時間は20時半頃。帰路を選択するなら無闇に遅くならない方が無難ではないかと僕は思った。もし泊まって行ったら明日にはアキソルにも連絡しようと考えたが、やはりあいつは帰って行った。

奥さんは奴に好感を抱いているので「嫌われてなくて良かった」を連発していた。「だってまたいつでも会えると思ってたから大丈夫だと思ってたんですよぉ〜。」とか宣う。そりゃそうだけど、まあ、こいつはこんな奴だ。実際、僕も憎めない。

名古屋に対する不義理には、どーしたもんかと、僕も思うところがあるが、棚上げするしか解決策が思いつかない。が、僕自身が名古屋に移住した以上、今後はあまり看過出来ないとも言える。

翌朝、奥さんのLINEに「結局全部下道使って6時間かかって着きました。」というメッセージが入っていた。無事に着いたらしい。

もう50なんだからさあ。いろいろとちゃんとしようぜ。

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