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鵼の碑 / 京極夏彦

京極夏彦の「百鬼夜行」シリーズ、17年振りの待望の新作。今回のモチーフとなる妖怪は「鵼」。頭は猿、胴体は狸、手足は虎、尾は蛇、という化け物に擬えられた、その事件の全貌とは?


古文書の調査の過程で不可解な「西遊記」の写本に行き当たる、憑き物落としの古書肆中禅寺秋彦。

古狸の様な上司からの極秘の依頼で、20年前の消えた3死体の謎を追う、警視庁麻布署刑事課刑事木場修太郎。

行方不明者を捜索しながらも虎の尾を踏んでしまうことを恐れる、探偵助手益山龍一。

自ら望んで巻き込まれて蛇と関わりを持ってしまう、小説家関口巽。

全ての謎(猿、狸、虎、蛇=鵼)と絡む診療所の、死亡した博士の唯一の血縁者、病理学医師緑川佳乃。

引き寄せられるかの様に、聖地であり魔所である日光に集結する登場人物たち。

それらを超然と見極める異能の麗人、薔薇十字探偵社探偵長榎木津礼二郎。


最近の傾向として、多くの作品の世界線が交錯し、収束し始めている感のある京極夏彦ワールド。その核とも言える本シリーズ最新作の結末で語られたファン衝撃の展開!既に予告されている次巻「幽谷響(やまびこ)の家」はいつ刊行されるのか?また10何年も待たされるのか?

震えて待つしかない。


「百鬼夜行」シリーズとは、古書店 “京極堂” を生業とし、神主を家業とし、陰陽師/憑き物落としを裏の商売とする中禅寺秋彦を主人公とした、第2次世界大戦後の昭和20年代が舞台のミステリー小説である。江戸中期の狩野派の絵師鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれた妖怪を必ずモチーフにしていることから「百鬼夜行」シリーズと呼ばれている。

基本的に物語に妖怪そのものや怪異は現れない。妖怪という事象が語られた当時の社会的背景や文化的変遷とその解釈と、起きている事件の事情や様相、人間関係などが符合していき、最終的に人の心に巣食う魔性の様なものを中禅寺秋彦が祓い落とすのである。「この世の中に不思議なものなど何もないのだよ、関口くん」が、決め台詞だ。

ただ理屈臭い面がある。主に中禅寺秋彦を語り部として、往々の場合、関口巽が聞き手として、かなりの量の知識を予め読者にインプットしてくるのである。それを分かっておかないと、後々事件解決に至るプロセスなどが分からないからだ。説明臭い会話劇が延々と続く場合も多い。でも民俗学、宗教学、歴史学、哲学など、多様な興味深い知識に触れられるので僕としては退屈ではない。

一転して、アクションを伴う様なシーンなどでは、ビジュアルに訴えかけてくる描写も秀逸だ。映画のワン・シーンを想起させ、色彩豊かに読者のイマジネーションを刺激してくる。

個性的かつ魅力的なキャラクターが多く登場し、そのため、現在に至るまでに本編シリーズ以外に多くのスピン・オフ作品が刊行されている。

他人の過去を目視してしまうという能力を持つ探偵榎木津礼二郎が主人公の「百鬼徒然草」。

猪突猛進な妖怪研究者多々良勝五郎が活躍する「今昔続百鬼」。

本編シリーズ中の被害者、犯人、あるいはサブ的登場人物が、日常のふとした狭間から、事件の原因となる様な怪異的なことに遭遇してしまう、唯一の妖怪小説「百鬼夜行」。

中禅寺の妹である科学雑誌編集者の敦子と「絡新婦の理」の登場人物である女学生呉美由紀が、事件に巻き込まれ、解決してしまう「今昔百鬼拾遺」など。

その続編が待たれるスピオン・オフ作品も多い。


京極夏彦の小説との出会いは、忘れもしないレコード会社のディレクター時代の1998年の9月終わり頃。とある企画で大阪に出張することになった時のことである。

夜、会社でひとりで何やら仕事をしながら、新幹線の中で読む本のことを考えていた時に、ふと耳に入ったのが、FMラジオから流れてきた京極夏彦の当時の最新刊だった「塗仏の宴」のCMだった。妖怪がテーマの探偵ミステリー小説、ということが僕の頭にインプットされた。早速恵比寿アトレ5Fの有隣堂で買い求めた。

「塗仏の宴」はその時点での京極作品の最大長編で、「宴の支度」「宴の始末」の2巻に分かれていて、どちらも600ページ越えだった。単行本ではなく、講談社ノベルズという、ミステリー小説中心にリリースしている刊行形態で、アメリカでいうところのペーパー・バックの手軽さをイメージした様な感じの本だ。

「長えなあ」と思いつつ、一気にハマった。大阪から戻り、再び有隣堂へ。おそらくだが、当時、有隣堂恵比寿アトレ店には、京極ファンの店員がいたと思われる。決まった棚に必ず全種類京極作品は取り揃えられていたのだ。

シリーズ第1作目である「姑獲鳥の夏」から「魍魎の匣」「狂骨の夢」「鉄鼠の檻」「絡新婦の理」と短期間に読破した。つまり最初に読んだ「塗仏の宴」はシリーズ6作目。最初の転換点であり、「百鬼夜行」シリーズの第1期とも言える部分のピリオドであったのだ。知らなかったとは言え、最初から読めなかったことが悔やまれた。

シリーズを読み進むうちに、膨大な文章量に対しての、そのハイ・ペースな刊行スピード、恐ろしいまでの博学さ、知識量に驚愕した。

1994年9月の「姑獲鳥の夏」(420P)から次作の「魍魎の匣」(683P)までの刊行の期間はおよそ4ヶ月。その次の「狂骨の夢」(577P)までもおよそ4ヶ月。そこから「鉄鼠の檻」(825P)までは8ヶ月。次の1996年10月刊行の「絡新婦の理」(829P)までは、およそ10ヶ月。2年ちょいで5冊である。

講談社ノベルズは1ページが、1行23文字18行が2段という構成になっている。つまり1ページは最大828文字分のスペースがある。一般的な文庫本で36文字16行ぐらいで最大576文字だとして約1.4倍ぐらいだ。それが毎回600P以上。ちょっとした文庫本が大体260Pぐらいとして、毎回、文庫本にして3〜4冊分以上の文章量を書き上げていたことになる。

狂ってるだろ、このペース。この文章量。その知識量。よく見れば昭和38年生まれ、とある。1個上じゃねえか。何なんだ、この人は。

余談だが、後にこのハイ・ペースな執筆の理由の一端が分かった。それは2015年に冥界入りした水木しげる大先生の追悼本「別冊 怪 追悼水木しげる世界妖怪協会全仕事」に京極氏が寄稿した文章「水木さんと『怪』の事」にあった。

作家デビュー直前の京極氏は、水木しげるのファンクラブである“関東水木会”を通じて、水木氏本人と知り合い、一度は水木プロダクションにスカウトされたこともあるらしい。その時点でかなり気に入られていた様だ。そんな縁もあり、処女作「姑獲鳥の夏」が刊行された際、現物を持って挨拶に行くと、大先生はまず値段を確認し、初回の印刷部数を聞き、執筆に要した期間を質問してきたという。

そして「ふうん、サラリーマンよりちょっといいぐらいですな」と言い放ち、「こりゃあ、あんた3ヶ月に1冊は出さにゃあシアワセはやって来ないデスヨ。さぼれば餓死。餓死ですよ。」とアドバイスしたのだという。京極夏彦がそれを守ったという記述はないが、数字がそれを表している。超絶貧乏生活を乗り越えて日本を代表する人気漫画家になった水木しげるならではの言葉なのである。



「絡新婦の理」からやや空いて1998年3月の「塗仏の宴〜宴の支度」(613P)まで1年4ヶ月となるのだが、この頃はもう京極夏彦は人気作家であり、別の作品を書き始めているからそうなるだろう。でもこの異常なハイ・ペースで刊行された「百鬼夜行シリーズ」で、その人気は不動のものとなったと言っても過言ではないだろう。

「塗仏の宴」以降、シリーズ本編の執筆は抑えられ、スピン・オフ作品が盛んに刊行される様になった。と同時に2000年代はもうひとつの僕の大好きなシリーズ、御行の又市を主人公とした「巷説百物語」シリーズが出版され始めていたので、まあ、いい。まあ、いいのだが、本編の7作目「陰摩羅鬼の瑕」が刊行されたのが2003年8月。その時点で「塗仏の宴〜宴の始末」の1998年9月から5年ぐらい待たされていたのだ。

そして3年の月日をあけて前作「邪魅の雫」が2006年9月に発表され、その際に既に今作「鵼の碑」の存在は予告されていたのだ。それから17年。17年である。17年前と言えば僕はまだ42歳。会社を辞めるか辞めないかぐらいの頃だ。もう飢餓状態である。スピン・オフももちろん面白いが、17年間、主人公中禅寺秋彦は、皆無ではないが、どの話にもロクに出て来てないのだ。次作「幽谷響の家」が、今回また予告されているが、信用は出来なくてもしょうがないだろう。

だが希望もある。

現在季刊「怪と幽」連載中の「巷説百物語」最新シリーズ「了巷説百物語(おわりのこうせつひゃくものがたり)」がいよいよ佳境を迎えているのだ。

このシリーズが完結してしまうのも非常に残念なのだが、そのロスを埋められるのは「百鬼夜行」シリーズしかない。しかも両作の関わりはここにきて急展開を見せている。

まず「巷説」シリーズに、中禅寺秋彦の曽々祖父と思われる中禅寺洲斎が登場し、ちょい役では無く、かなりの存在感を示している。

元々洲斎は、2000年のWOW WOW制作の田辺誠一主演のドラマ・シリーズ「京極夏彦 怪」用に考案されたサービス的なゲスト・キャラかと思っていたのだが(因みに近藤正臣が演じた)、ここにきて、ドラマ版と若干設定を変えて、しっかり登場してきた。しかもその洲斎が登場するWOW WOWドラマの一篇「福神ながし」のプロットが「了巷説百物語」に逆流するかの如く大幅に導入されているのだ。

小説だけに止まらない多元的な京極パラレル・ワールドは、本拠地小説の上に、現在、再び統合されつつあるのだろう。それは最初はアニメ版のキャラの鳥追いの長耳が「前巷説百物語」や、岩手の遠野を舞台とした「遠巷説百物語」に長耳の仲蔵として登場してきていることからも分かる。

そして今作「鵼の碑」に、何と初めて御行の又市の子孫と思われる笹村市雄なる人物が登場してきたのだ。更に言えば、詳しくは描かれなかったが、何やら事件の背後で暗躍していたらしい。まるで御行の又市の様に。

笹村市雄なる人物は、順当に考えれば「巷説」シリーズにおける様々な登場人物の集合体とも言える、かなりの重要キャラクターになるはずなのである。ここでは長くなるのでその説明はしないが(言いたい気もするが)、とにかく凄いのだ。それが中禅寺秋彦と相見えた訳だ。

ここまで直接的に繋がってくるとは予想していなかった。

「巷説」シリーズにおけるエピソード「五位の鷺」が、本シリーズ7作目の「陰摩羅鬼の瑕」に繋がったことによって初めて示されたのだが、この2つは同じ世界線の物語なのだ。そうなると笹村市雄は、今後「百鬼夜行」シリーズにおいて、どんな形で登場してくるのか。どんな役割を果たすのか。期待してしまうやろぉ!まあ、出て来ないかも知れないが、それは有り得ないやろぉ、京極先生!頼むわ。

そしてこの2つの物語のミッシング・リンクと思われる「書楼弔堂」。

「今昔百鬼拾遺」の一篇「鬼」で繋がった京極版土方歳三の物語「ヒトごろし」。

「ヒトごろし」が繋がった以上、タイトルからして繋がりが予想される、未だ謎の多い現代の話「ヒトでなし」。

そして気付いてなかったし、知らなかったのだが、2035年を舞台とした「ルー=ガルー」までが「百鬼夜行」シリーズの未来の話として繋がっているらしいではないか。これはぬかった。「ルー=ガルー」は2018年に続編が出ているのだが、テイストがかなり違った印象だったので、スルーしていたのだった。これはすぐに両方を読まざるを得ない。

次はギンティ小林の「新耳袋 殴り込み」シリーズ全4巻でもBOOK OFFで探そうかと思っていたのだが、後回しだ。僕は最近ギンティ小林のツイッターをフォローしたのであった。ごめん、ギンティさん。

という訳で好きなものについて、好きなだけ書いた。面白かった。本当はもっと書けるんだけどね。

今回は、これぐらいにしておこう。

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