日々モロ

だいじな夜。

4月は僕の誕生月であるのだが、大切な人が3人、亡くなっている月でもある。

4月8日はその中でも僕と奥さんが知り合った店、名古屋市昭和区御器所にあったバー「ベンガル」のダイジの命日であった。

その5回忌のイベントが金山のTriangle Cafeであり、そのアフター・パーティーとしてラテン・バンド[Espacial ]のライヴが、栄のKalakutaというクラブであるという。

久々、深夜のイベントであるが参加せずにはいられない。

ベンガル。正式名称は [Last Regal Ganja In Bengal] だと常々ダイジは言っていたが、誰もそんな名前で呼ぶ訳がない。

僕は、そのベンガルのあった場所からほど近いところに、一時、名古屋での拠点となるアパートを借りていたことがある。2008年の春頃から1年ぐらいだったろうか。メッチャ狭いワン・ルームだった。

当時僕は岐阜のめいほうスキー場で開催されていたキャンプ・インのレゲエ・フェスの制作の仕事をしていて、名古屋/小田原を行き来することが多かった。だからこの際と思い、35,000円ぐらいの物件があったので借りていた。

場所を御器所にしたのは、アキソルの事務所のあるところであり、昔から名古屋の中で御器所が一番馴染みのある場所だったからである。

そしてその当時、アキソルの会社「錦コミュニケーションズ」の事務所のあった場所の1階部分が、そのバー「ベンガル」だったのである。

ダイジはみんなに好かれていた。そして、みんなにイジられてもいた。愛されていたし、心配もされていた。

名古屋にあまり知り合いのいない僕にとっても、アキソルを除いて唯一ぐらいのレベルで気の許せる存在だった。

だからベンガルに歩いて1分ぐらいで行けるその場所のアパートを借りたのである。夜1人で退屈でもベンガルに行けばいいから。短期間であったが、ベンガルはある意味僕の居間みたいな居場所でもあったのだ。その上の事務所には今ではもう沖縄に帰ってしまった儀武くんも住んでいた。今にして思えばメチャクチャ楽しい場所であったと思う。

名古屋に移住を果たした今、ダイジが居ないということが残念で仕方がない。

2012年8月14日に撮ったらしい唯一の写真。

ヒロくんの車で金山まで乗せて行ってもらった。往路はヒロエちゃんも椿も一緒だ。

Trinangle Cafeにはダイジの旧知の仲間たちが沢山集まっていた。正直知らない人も多いし、名古屋新米の僕としては大きな顔するのもおこがましいので、ひっそりとダイジを追悼していた。それでも名古屋のレゲエ関係とは顔を合わすことが出来る。さりげなく然るべき時が来たらアキソルの名古屋ライヴに協力して欲しい、という声掛けは出来た。

いい頃合いで栄のKalakutaに移動した。

Especialsは去年今池祭りでもライヴを見た。元パンクスのおじさん達が多く参加しているラテン・バンドだ。今池祭りの時はほぼ路上のライヴで、音圧の密集感が少なかったと思うし、今夜、狭いクラブの空間でやる演奏を楽しみしていた。

彼等は、何ならアキソル名古屋ライヴの場で共演出来るのではないか、と勝手に密かに考えている存在なのである。

何時頃だったろうか。23時は回っていただろう。Triangle Cafeから一度バラけた人々が再びKalakutaに集結した頃、ライヴは始まった。

ダイジ・パネル入場。
みんなの一言が書いてある。

Especialsはクラブ空間でのライヴが似合うバンドだった。ドラムレスだがコンガを中心に様々な鳴り物がポリリズムを響かせ、元パンクスなおじさんのラテンな掛け声もオイに聞こえてくる。ギターもディストーションの効いた音色でサルサなフレーズを奏で、ベリー・ナイスなゴキゲンなライヴであった。

「ダイジも今、ここにおるで!」とEspecialsが叫べば、「ダイジーっ!」と声が飛び交う。

大事なダイジのための「だいじな宴」となった。

そしてこの5回忌を以って、命日イベントは最後にすると、主催者である妹さんのユカさんが言っていた。辛うじてそれに滑り込みで参加出来て良かった。

ライヴ後。1時過ぎ。ヒロくんと僕とマッコイ。3人で久々に帰る足を失っていた。

楽しく酔ってはいたが、危機感を持たずにこのまま呑み続けるのはマズイ。ベロベロになってしまいそうだ。そこからもう呑むのをやめて、帰る方法を模索し続けて、1時間半。ユウくん夫妻というナイスなお二人の車で、ユウくんの奥様の運転で送って頂きました。大変恐縮です。ありがとうございました。

という感じで午前2時半頃。家に帰り着いた。体力的には温存してある。明日そこまで酷いことにはならないだろう。

またいろいろ名古屋の音楽好き連中と顔を合わせて思ったのだが、真剣にアキソル名古屋ライヴを企画しようとしたなら、協力者はいくらでもいることを実感した。今日の宴にみんなを集めたダイジもその協力者の1人なのだろうと思う。

焦らずともいろいろな必然が重なり合って、時が満ちていく。そんな気がした。

そしてこのブログを書くための写真を選定して、解像度を揃えたり、トリミングしたり、色調を加工したりしてたら、ダイジがやっぱりあそこにいたことを感じさせる写真が1枚あった。

それがこれだ。

漂ってます。ダイジが。

まー洒落にならんでやめてくれ、ダイジ。

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