日々モロ

桜 2024

遅咲きだった今年の桜だが、この週末から月曜日にかけて堪能した。

「だいじな宴」への参加を遡ること7時間ぐらい前。4月8日の昼にゆっこさんと2人で猫ヶ洞池にお弁当持って花見に出掛けたのであった。

池に枝垂れかかる様に咲き乱れる巨木桜。
その根元で焼きそば弁当だ。

プクッと膨らんで咲いた花は正に今が満開だ。やっと満開だが週明け月曜に夜頃から雨の予報だから、今年の桜は短命になりそうだ。

こうして花が咲くと周囲に桜の樹が多いことに改めて気が付く。名古屋は桜だらけだ。

かねてから僕は「桜の樹が好きだ」と公言してきた。主にゆっこさんだけにだけど。花が咲いた姿も好きなのだが、樹、そのものが好きだ。大きな桜の樹は結構バケモノじみた姿形をしているのをご存知だろうか。

並木になって群生しているヤツは貧相な樹が多い。突然広い場所に生えている一本桜みたいなヤツがいい。それの幹のぶっといヤツ。絡み合って一本の幹を形成している様なゴツいヤツは特にいい。

鬼の腕の様な太い枝から分岐した指の様な枝先が、魔力を地面に叩きつけているかの様に下に向かって広がっている。

そういう桜の樹が好きなのだ。

かつて僕が働いていたamazonの小田原倉庫の入り口の一本桜がそういう樹だった。

花を散らした後の青々とした葉っぱが生えているのも好きだった。

秋から冬にかけて紅葉していく姿も好きだった。一枚の桜の葉っぱの中に沢山の色彩が散らばっている。枯れた桜の葉っぱが好きだった。

全ての葉を落として剥き出しになった姿も好きだった。骸骨の様な姿を晒しても美しさがあった。

昔、ハマって全巻読んだ小説、荒俣宏の代表作「帝都物語」の完結編となる第六番には「桜は死体を抱いている」という言説が重要なキーワードとして出てくる。映画化されて話題になった作品なので誰もがタイトルぐらいは知っているだろうが、あの話は大正時代では全然終わらず、最終的には20世紀末の1998年まで続くのだ。

そのエンディング。関東の大怨霊平将門を甦らそうとし続けた魔人加藤保憲だったのだが、その正体は、桜に抱かれて東京の地下で眠り続けることを望む将門の悪夢が血肉を持って転生した姿だったことが明かされる。将門は目覚めたくなかったのだ。この物語において、桜はそうした怨念をも癒す力のある霊木として描かれていた。

そのエピソードが長く僕の中に強い印象を持って残っている。

「桜の下には死体が埋まっている」。この話の元ネタは、大正時代の小説家梶井基次郎の「桜の樹の下には」にあるらしい。不気味な話だが、短編なのですぐに読み終わるし、ネットでも読めるので一読をお勧めしたい。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000074/files/427_19793.html

また日本民俗学の父、柳田國男の説で、古来、桜のつく地名は死体捨場であったというのもあるらしい。桜は春になると死者の魂を咲かせ、ハラハラと散っていく。ロマンだ。ロマンを感じる。

ま、そんなことはともかく、春の陽光を桜の木陰で柔らかに感じながら夫婦で食べた焼きぞば弁当は美味しかったよ。

帰り際に動物愛護センターに初めて寄って、猫ちゃんを見て帰った。そして昼寝をして「だいじな宴」に備えたのだった。

いつもウォーキングの際には横を通っていた。
でも中に入ったの初めて。

翌日の4月7日の日曜日。103歳の久代お婆ちゃんを散歩に連れ出した。

昨年の11月まで矍鑠として、しっかり階段も自分の力で上り下りしていた久代婆ちゃんであったが、股関節に痛みを訴え出し、そこから急激に歩けなくなってしまい、今では車椅子である。

週3でデイサービスに行っているので、外出はしているのだが、陽光を浴びて桜を見るのも良いのではないか、ということで奥さんと2人掛かりで車椅子ごと家のエントランスである石段を下ろし、近くのVドラッグまで散歩に出たのであった。

今年で93歳になる僕の母ちゃんに比べたら、久代婆ちゃんは認知症にはなっていない。頭脳は明晰である。だが耳が遠い。うちの母ちゃんはかれこれ車椅子生活14年とかになるが、久代婆ちゃんは103歳にして車椅子生活まだ4ヶ月程度である。鉄人とも言えるだろう。

僕が久代婆ちゃんの介護で介入出来る仕事はほとんどないのだが、出来ることはしてあげたいと思う。彼女は面白いし、可愛い。

軽く汗をかいた日曜日の午前であった。

あずきバーを食べていらっしゃいます。

4月8日月曜日。今日はお釈迦様の誕生日だ。竜泉寺に桜を見に行こう!奥さんとお義母さんと3人で出掛けた。

2度目の参拝。

2回目の参拝となる竜泉寺だが、コストコに行く途中にあるのだ。立派なお寺だし、桜も立派だから立ち寄った。それ以上でもそれ以下でもない。だけどいいお寺だし、名古屋で好きな寺になったことは間違いない。

お釈迦様の誕生日だというのは、ここに来て知ったことでした。本堂の前でお釈迦様のフィギュア(小さい仏像ね)に甘茶をかける儀式をやらせてもらえたのだ。更に甘茶を飲ませてもらえた。

甘茶とは、紫陽花の変種の若葉を、8月下旬に採取して、日干しして乾燥させた物に、水を噴霧し樽などに詰めて24時間発酵させたものを蒸して揉捻し、再度乾燥させたもの。また、それを煎じて作った飲料である。発酵前の葉は甘くなく苦い。黒くウーロン茶葉のような外観である。(以上、ウィキペディアより)

エラく手間の掛かったお茶だ。でもその味は本当に甘かった。ほんのちょっとしか飲ませてもらえなかったが、冷たく冷やしたのをガブ飲みしてみたかった。

立派な樹がありました。
10円でつかせてもらいました。

桜を堪能して車に乗り込んだ頃から雨が降り始めた。予報では夕方頃からだったはずだが、最近の予報は外れるなあ。でもアプリのお天気情報は、外れてもシレーっと遡って予報が的中した様に訂正しているのが多い。

コストコで買い物してホットドッグ食べて帰ろうとしたらもうかなりの本降りになっていた。完全に花散らしの雨である。

という訳でさようなら2024の桜の花。

でも今年の桜を見て、これで、どれだけどこに桜があるのかは大体把握した。僕はこれからも四季を通じて樹を眺め続けるつもりだ。

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