名古屋での僕の部屋
名古屋に来て、家内の実家では、贅沢にも8畳以上はある洋間を僕専用に使わせてもらっている。
これは本当にありがたいことだ。
そもそも物が多い僕は大量のレコード、CD、本を所有している。移住にあたってこれらをどうするかが課題であった。
近くに一軒家を借りることまで考えたが、それでは居住にかかるコストを抑えるために移住するのに意味がない。
そんな事情を汲んで頂き、お義母さまの鶴の一声でこの部屋の独占使用が許可された。家内と義妹が子供の頃から10数年前まで使用していた部屋である。思い出のピアノも撤去してもらい、今年の3月に自分の荷物を搬入した。
それでも僕としてはかなりの大胆な断捨離を余儀なくされたのは言うまでも無い。
LPサイズのレコードは半分ぐらい。800枚ぐらいか。
7インチサイズはおそらく1/20ぐらいの数を残して後輩に譲った。ほとんどがレゲエである。枚数にして3000枚ぐらいだろうか。
あまりよく分からない。
CDも現在の所有量の半分ぐらいの600枚ぐらい。これらの音楽ソフト類は全て後輩に譲った。
本はまあまあ残すことが出来た。それでも亡父の蔵書のほとんど全部を処分するのに段ボール箱30個分ぐらいをBOOK OFFに持って行ってもらった。
そもそも小田原の家は1階部分が元工場でもあり、約100坪の敷地で、バカ広かったのだ。
なので何でも置いておけた。
その広さを利用して音響機材もいくらでもおけた。
最盛期には4つのサウンド・システム・クルーの拠点となっていたぐらいなのだ。
そしてその広さ故、僕のスピーカーや機材、レコード、CD、本、そしてフィギュアたちはそれぞれ別の場所に分散されて保管されて来た。
それが今回の移住に当たり、断捨離という痛みも生じたが、晴れて初めてひとつの場所に集結した。
ここに、ほぼ僕の脳内を具現化する空間が完成したのだ。
今僕は59歳にして自分の好きなものに囲まれて暮らしている。
仕事もしてないのに。
これを幸せと言わずに何と言うべきか。
のみならずこの部屋には最高のオーディオを導入してある。
僕が敬愛して止まない故田口和典氏が、生前、世界で初めて業務用スピーカーとしては実用化した、平面駆動ユニットを採用したスピーカー・システムだ。
細かい専門的な説明はしないが、とにかく位相差が少なく、高音域においても低音域においても原音再生能力が高く、早い話が、これまでのスピーカーでは再生出来ていなかった音を鳴らす事が出来るスピーカーなのだ。(細かい専門的な説明はしたくなったら別の機会にするかも知れない。)
僕がこれまでPAの仕事で使ってきた機材を普通に部屋で鳴らしている。
100人ぐらいのラウンジなら余裕で最高品質の音を充満させることの出来るセットだ。
アンプの方で絞ってはいるが、これがまた、そこそこの音量で再生しても大丈夫と来ている。ほんともう最高なのです。
ここを拠点に僕は余生を暮らしていくのだ。クリエイティビティをあげて行こう。誰のためにでもなく、単に自分自身の為に。