了巷説百物語/京極夏彦
堂々の完結である。
京極夏彦の「巷説百物語」シリーズ最終巻「了」が6月19日に刊行された。
前回のこのブログをアップしたのが6月15日だったのだが、今日まで2週間も空いてしまった。
それはこの本を読んでいたからである。
実はその間に1週間ほど小田原に行って来ている。
「旅モロ」に新しい旅のカテゴリーも立ち上げることなく、手の空いた時間はこの本を読んでいたのであった。(まあ、新しい旅をワザワザ立ち上げなかったのには少々思うところもあったのだが、、、、。)
それはさておき、、、。読み終わりました。
全1147頁。厚さ6cm。
以前にも京極夏彦の本はファンの間で「鈍器」と呼ばれていると書いたが、この本はノベルスの様なソフト・カバーではない単行本だけに実際に凶器として使えるぐらいの過去最大の鈍器っぷりだ。
辞書かっ!
でもその全1147頁中、960頁までは既に読んだことがあったのだが、、、。もちろん季刊「怪と幽」連載中にだ。
だからと言って読まない訳にはいくまい。未読だった187頁分を読むために2週間ぐらいを費やしていたのだ。そういうもんだろう。
途中「これ読み終わったらもう終わりか」と思い、スピードが鈍化している時期もあったが、読み終わらないことには他のことが手につかない。
太郎にフライヤーのデザインを頼まれている。もう1冊購入済みの本がある。Apple TVプラスの1週間無料トライアルで、レジェンダリー制作のカイジュー・バーズ・シリーズのドラマ版「モナーク」全10話をイッキ見したい。
ブログもアップしないと。
今日は雨だし一気に読み切ろうと思い、午前中から何もせずに読書だけしていた。
因みに未読だった187頁は、ものの2時間ちょいで読み切ってしまった。
そして読み終え、今に至る、である。
この「巷説百物語」シリーズの詳しい内容に関しては、以前レビューを書いた「続巷説百物語」や、京極夏彦の別シリーズの最新刊「鵼の碑」のレビューでも、再三再四触れているので詳しいことはもういいだろう。
本作のあらすじだけを簡単にまとめてみよう。
なんでそんなことするのか?
ただ僕がそうしたいからです。
本作において主人公として立ち回るのは下総国酒々井宿の狐猟師「稲荷藤兵衛」なる、齢50近い人物だ。
狐釣りの名人である彼は長年獣と相対してきた経験から人の嘘を見抜く洞観の技に長けている。そんな彼には人に請われてその技術を商売として使う「洞観屋」としての顔があった。
獣はただ生きるために生きる。そこには人の様な嘘偽りはない。
藤兵衛は予め調べ上げた的の情報と、微かな目の動きや挙動、言葉遣いから嘘を見抜くのだ。
そして両手の指で狐窓を作り、相手を覗く。
「唵嚕鶏入縛羅紇哩(オンロケイジバラキリ)。」「化けの皮、見切った。」
これが今回の決め台詞だ。
そんな彼の元に山崎由良治という総州佐倉藩士が訪れ、洞観を依頼する。
山崎が心酔する主君佐倉藩主堀田正睦が、時の老中首座水野越前守忠邦と共に進めようとする改革(所謂「天保の改革」である)を邪魔する輩の正体を暴いて欲しい、と言うのだ。
一介の猟師に過ぎない自分にやれることではないと固辞する藤兵衛であったが、、、。
敵は政敵に非ず。巷に潜み、化け物仕立ての狂言で人心を誑かす不届者で、その狂言で若狭の小藩の藩主の首をすげ替えたこともある、というのだ。
それまで役人絡みの仕事は引き受けない様にしていた稲荷藤兵衛だが、熱い漢山崎由良治を信頼し、且つ化け物遣いの一味に興味を覚え、遠耳遠目の大男で、熊とも素手で戦えるという「猿の源助」と、江戸府内のことなら隅々まで知り尽くし、諜報の技に長けた「猫絵のお玉」の2人を手下として、その洞観仕事を引き受けることにしたのであった。
そして出会う化け物遣いの面々。
事触れの治平。
四つ玉の徳次郎。
山猫まわしのおぎん。
靄船の林蔵。
屍人踊りの柳次。
横川のお龍。
無動寺の玉泉坊、、、、。
彼らのしていることは法には触れるが悪事とも思えない。藤兵衛はそんな感触を覚え始める。
番町皿屋敷跡地で起きる怪事や、品川宿の老舗旅籠での騒動を経て藤兵衛は、一味の中心人物と思われる「御行の又市」から「自分の名前はお上に晒しても構わないので、本来市井の人である蝋燭問屋生駒屋の若隠居山岡百介にはもう関わらないで欲しい」というメッセージを受け取る。
心に感じ入るものがあり、藤兵衛は山崎由良治への報告、つまり堀田正睦、しいては老中水野忠邦への報告の中で「山岡百介」のことは敢えて触れずにいたのであった。
品川の事件で最初の依頼にある程度のケリを付けたはずの藤兵衛であったのだが、山崎由良治は引き続き連中の関わった案件を出来るだけ多く洗い出し、その手口、カラクリを暴いて欲しい依頼してきた。
藤兵衛は江戸に留まり探索を続ける。
そして遭遇する更なる事件。
武州櫻木村での口走りの背後にあった重大な事実。
断ち切るべき累の因縁。
七福神を模した最強の敵、無頼集団「七福連」。
立場を変え、化け物遣いの身内の女性を匿うこととなる藤兵衛一味。
黒幕として浮かび上がる両替商「福乃屋」と、その更に背後で糸を弾くお冨久なる女怪。
化け物遣いと真逆の存在である憑き物落としの陰陽師中禪寺洲斎の全面介入。
元締めである大阪一文字屋の一文字仁蔵の死を賭した仕掛け。
姿を見せること無く幕閣内に仕掛けを張り巡らせる御行の又市。
全てを見据えて単独行動を取り続ける爆破のスペシャリスト御燈しの小右衛門。
事件の全てを解明し把握した中禪寺洲斎と共に、最後の決着を付けるべく要塞化したお冨久の屋敷への突入を敢行する稲荷藤兵衛と化け物遣いたち。
そして憑き物落とし中禪寺洲斎の流儀で全ては暴かれ、謎は氷解し、事実が晒される。
嘘でも夢を見させる化け物遣いの又市。
全てを暴いて真実と向き合わせる憑き物落とし中禪寺洲斎。
その狭間に立って嘘を見破る洞観屋藤兵衛は煩悶する。
「嘘とは一体何か?」
嘘。嘘とは何だ、事実に反することか。
それは違う。人を騙すことが嘘か。それも違う。
事実はひとつしかなかろう。だが真実は人の中にある。
同じものを見、同じことを聞いても、人はそこに違う真実を作り出す。
人はその真実こそを信じる。信じたものと口から出る言の葉に乖離があるなら。
それが嘘だ。
(本文より抜粋)
物語は7年後に再び江戸を訪れた藤兵衛の懐古と、最後の最後に現れた八咫鴉こと御行の又市との邂逅で締め括られる。
「御行仕奉」
全ては物語となり、嘘も真実も無くなる、のであった。
読み終わった直後過ぎて、イマイチ僕自身、気持ちの整理が着き切っていなかったが、このテキストを打つうちに落ち着いてきた感じだ。
まだこの世界観で話は書ける余地はいくらでもある。
単独で老中水野忠邦相手に仕掛けを施していた又市の動きは、まだ一切描かれていないのだ。
シリーズ第2巻であった「続巷説百物語」の最重要エピソード「七人みさき」のエンディングで又市が語った「千代田のお城にまた大きな鼠がおりやすから」発言から23年を経て、本作が刊行され、確かに話全体の落とし前は着いたが、「千代田のお城の鼠=水野忠邦」が、又市に如何に弄されたかについては全く具体的にはされていないのである。
はぁ。まあいいか。エヴァの空白の14年みたいなもんか。謎は謎のまま。読者の想像の余地は余地のまま。そうした方がいいんですかね。
本シリーズへの愛着、終わってしまったことへの執着の念が、僕にそう思わせているのだろう。
実際このお話は第2巻の「続巷説百物語」で一旦終わっているのである。
だが周囲がそれを全く認めず、第3巻の「後巷説百物語」で年老いた百介の懐述という形で連載が再開され、その百介の死によって完全に終わったかに見えた。
だが読者や周囲は一切それを認めず、又市、林蔵の若き日のお話「前巷説百物語」となり、林蔵を主人公とした「西巷説百物語」となり、実は本作の後日譚である盛岡藩遠野を舞台とした「遠巷説百物語」で、謎の大きな部分は解明され、今度こそ完全に終わってはいるのだ。
だから本作はファン・サービスの大いなるアフター・アワーズとも言えるのかも知れない。大いなる余韻だ。
27年に渡る執筆の末に、化け物遣いの優しい嘘は効力を失くし、代わりに現実を突き付ける憑き物落としがこの物語の幕を引いたことになる。
そして物語は終戦直後の昭和を描いた洲斎の曽孫の中禪寺秋彦が主人公の「百鬼夜行」シリーズに引き継がれる、ということか。
それで「鵼の碑」に又市の子孫の笹村市雄を出したんか。
じゃあ早く読ませておくれ。
じゃないと今のこの脱力感は、まるで憑き物落としの祓いによって、僕から京極夏彦という作家が落ちた様な感じである。
価格:4400円 |