Episode 1 : 再開発の街からミユキ・ビーチへ。
6月21日金曜日から27日木曜日にかけて例の用事などもあり小田原に行って来た。
これまでのパターンでいったら、事前に新しい旅をメニューの「旅モロ」内に立ち上げて、事前情報からアップしていたのだが、今回はそれをしなかった。
「BOOKS」で「了巷説百物語」をレビューした際にも触れたが、本を読むことに多く時間を費やしていたのは事実だ。
それに3月以来、月イチで小田原に来ているので、何だかもう新鮮さが欠如してしまっている。
「旅モロ」に関して言えば、このブログ中、唯一、事前に自分の行動を予告しているという性質もあり、それもどうかなと思ったというのもある。
なので今回はこんな感じである。
例の僕の借地権に関する非訟案件は、示談の方向で少し進んだ。これはいいことだ。僕としては待つだけである。
母ちゃんの容態ははあまり芳しくはない。相変わらず嚥下が上手くいかず、点滴だけでは1日におにぎり2個分ぐらいの栄養しか取れない。このままでは死んでしまうので胃ろうの方針で動いている。
自分の母ちゃんの話だからいい加減には出来ないが、あまりブログに積極的に書きたい事柄ではないかも知れない。
この件があるので今後とも動きは流動的ではある。今後しばらくは突発的に小田原に行く必要が生じることもあると思う。
土曜日。ウォーキングに出掛けた。
いつも小田原で歩く酒匂川河川敷方面ではなく、駅前のいくつかの再開発している現場を巡りながら御幸の浜方面に歩いてみることにしたのだ。
小田原は今駅周辺で大規模な再開発が進んでいる。
でも特に景気がいいとは感じない。
小田原の駅周辺の繁華街が全然栄えてないから再開発に至っているからだ。
栄ていたら今更こんな街中で、こんなに大規模にほじくり返すのは不可能だろう。
その際たるものがアプリ、エポという繁華街の中心地にあった2大ファッション・ビルを含む広大な土地を更地にして、商業施設とタワマンが合体したビルに建て替えるという大工事だ。
3月頃まではまだあった建築物も、今ではすっかり更地になっていた。
結構感慨深いものがあった。
こうした風景が少し物珍しく写るのは、僕が今小田原に住んでいないからだろう。変わりゆく故郷の風景として感じられるからだ。
工事が終わった街並みはどうなっているのか。
気にならないではない。
そういうエリアを抜け、海へ向かう。
途中、江戸の頃からの小田原宿の総鎮守である松原神社に久しぶりに立ち寄ってみた。
一応お詣りした。
お詣りの際、僕が心に念じる文言は大体決まっている。
「私は昭和39年4月16日に東京都北区田端で生を受け、
その後、神奈川県小田原市で暮らし、
現在は愛知県名古屋市千種区に住んでおります茂呂尚浩と申します。
私の家族と友達が健やかで幸せあります様に。
世界が平和であります様に。
かしこみ、かしこみ、お願い申し上げ奉ります。」
と、いつも大体こんな感じだ。正しいかどうかは知らない。長いと言われることもある。
「神様には自分がどこの誰だが自己紹介をしなければならない」と、いつか何かでそう知った。以来そうしているのだ。
小田原は、この松原神社の氏子を中心に結構神輿の盛んな街である。
5月の連休の祭りの時は結構な盛り上がりを見せる。
特に最終日の宮入りの時は市内を流していた30ぐらいの神輿が夕方近くになると松原神社周辺に集結し、ゆらゆら揺れながら宮入りの順番を待つ。そして神社正面の門まで辿り着くと、掛け声と共に鳥居に向かって突進して行くのだ。
神輿好き冥利に尽きる瞬間なのだ。
因みに僕の住んでいた中町は松原神社の氏子ではないのに加え、僕は小学生の頃から子供会の行事に参加するのが嫌いだったので、一切担いだことはない。
松原神社を過ぎると海岸までは1分ぐらいだ。この近辺では海に向かって垂直に伸びるどの道からも浜に出れると言っても過言ではない。
今まで海近すぎて有り難味少なかったなあ〜。
だって僕の住んでいた辺から最も近いビーチだと、基本日影がない。読書をするにもそれでは何だし。
車で入れる場所が酒匂川の河口にあるけど、そこにそんなにしょっちゅう行こうという発想には中々ならなかったよ。
しばらく浜を歩き、母ちゃんの入院している間中病院の横を通って、城の堀の脇を通って姉ちゃんに帰った。
これから姉ちゃんとゆっこさんと3人で小田原の町中華「今金」に行ってから、午後に見舞いに来ますからね〜。お母ちゃん。