Episode 4 : 小田原滞在、前半の残りと中盤の話。
マルコト姉妹が泊まった翌日曜日の朝。
姉は出掛ける用事があって、割と早めに出て行った。食卓の上には子供の好きそうな練乳の入ったスティック・パンが用意されていた。
3人でそれを食べて、また少しアニメを見ているうちに10時ぐらいにケイシロウが迎えに来て2人は帰って行った。
帰って行ったのはいいが、この日はまたHAYAKAWA39CBDで「小田原ワッショイ」というイベントがある。「ミスター・ワッショイ」こと湘南のお祭り男バミューダのライヴがあるのだ。
「ちょっとやり過ぎかな〜。ゆっこさんに怒られるなぁ〜。」などと思いつつも、ケイシロウからは「篠原くんも来るんで是非お願いします」などと言われている。
とりあえず昼寝をして、冷蔵庫にあるもので昼食を自分で用意して、ホゲホゲしながら「どうすんべ」などと考えていたら、カズナから「何時に行きますか?」などというLINEが到着。
迎えに来てくれると言うのだ。
そんな至れり尽くせりをお断りする強い理由はなく、再び早川に向かった。
神奈川県海沿いの定説としては、藤沢・茅ヶ崎の連中は相模川を越えて西には来ない、というのがある。藤沢・茅ヶ崎に限らず神奈川県全体に言えることかも知れない。
よく横浜の連中が、つまらないギャグのつもりなのか、本当に知識が無いバカなのか「小田原?静岡でしょ?」とかいうのだが、そいうったプラネット・アース的にも、銀河系的に小っちゃい奴らの言うことは長年放置してきた。
だがこの数年、このHAYAKAWA39CBDが出来て以来、そしてSHINO-BことDUPPA YOUTH ENTETAINMENTを主宰する篠原氏がこの場所でイベントを組む様になって以来、藤沢・茅ヶ崎の連中が早川までやって来ることが増えた。
この日も湘南プシン会の会長が来ていたので「珍しいね」と声をかけると「初めてこの駅で降りた」とおっしゃる。いいことですよ。大して遠く無いんだから。世界を広げましょう。
時刻も19時を過ぎた頃、小田原在住でNEW LIGHT所属のDee Jay、Cumposが前座的にマイクを握らせてもらった。
僕が小田原を去る頃に現れた人材で、初めて歌うところを見たが、どうやら言いたいことがいっぱいあるみたいだ。
臆せず経験を積んで、やりたいことをやり尽くせばいい、と思った。
そして湘南の中堅どころの雄、バミューダの登場だ。
「祭りの方法を教えてやろう。野郎ども声出せよっ!」「ワッショーイ」の掛け合いで長年湘南を盛り上げてきた男だ。
イベントのMCなどでも活躍する無くてはならい存在である。
今宵も小田原でワッショイかまして頂きましょう!
この日はバー・カウンターにマムシを丸々1匹漬け込んだマムシ酒があった。
最終的にそれを、ウチの太郎くんやらTOP CHOICEというサウンドをやってるベロンベロン野郎サトシとかが、ショットでやり始めやがった。ヤバイ。ヤバイが僕はそんなものは絶対に呑まない。
そんなこと思ってたら、湘南LUVの制作スタッフであり、映像も作ってる、平塚のコースケが帰るというので、それに便乗させてもらって姉ちゃん家まで送ってもらった。
全くお前らはクレイジーだぜ。
この旅の前半戦は、非常に濃厚な3日間となってしまった。
翌日の月曜日からはおとなしくすることにした。少なくとも木曜日いっぱいまでは静かに過ごそう。
このブログのために写真をセレクトしてトリミングしてサイズと解像度を揃えたり、実際それのテキストを打ったり、今回本も4冊と大量にあるので読まないといけない。
マルちゃんとコっちゃんと一緒に見た「推しの子」の続きも見ないといけない。オリンピックも男女サッカーだけは見ている。
いろいろやることがあるのだ。
まだ決定はしていないがおそらく水曜日あたりは母ちゃんの転院があるだろう、そして木曜日は何と言っても裁判所に行かないと。それが最も重要な要件なのだから。
断じて呑みに帰って来た訳では無いのだ。
母ちゃんの転院は予想通り水曜日になった。
10時に小林病院に行って退院手続きを済ませ、介護タクシーに一緒に乗って、車で2分ぐらいの距離の間中病院に再入院だ。
以前は嚥下が出来ずに点滴だけで、このままでは衰弱する一方だった母ちゃんなのだが、胃ろうの手術を受けて、これからは直接胃から栄養分を摂る生活となる。
と言うことは3週間もしたら退院、という既定路線なのだ。僕からしたら入院しててくれた方が安心だ。
大変なのはこれからなのだが、姉はそれでも家で介護するという。
胃ろうは決して誤嚥の防止とは言えないと主治医からは言われている。
口から食べないと言うことは、唾液の分泌が減り、雑菌も繁殖しやすいのだとも言う。誤嚥性肺炎の危機が無くなった訳では決して無いのだ。
何とも複雑な思いだ。
例の僕の借地権を巡る非訟事件は大詰めを迎えていた。
相手のいる事なので詳細に言及することはこれまでも避けてきたが、僕の望む様な結果に落ち着くことがほぼ決まった。
今回、木曜日に裁判所に行って、それを裁判官に告げ、次回が最後の審問になることになった。
気分爽快である。
足掛け2年でこの問題に向き合い、昨年12月に僕が提訴して、3月から審問が始まり、毎月小田原に来る様になり、ようやくそれが終わる。
終わったら晴れて住民票、戸籍を名古屋に移し、名実とも名古屋市民、愛知県民となるのだ。
母ちゃんのことがまだあるが、基本、小田原には今後はあっても年に1、2度ぐらいしか帰ってこない様になるだろう。
そら、そうだ。移住するってことはそういうことだ。
肩の荷が降りたところでウメにLINEした。
ワッショイの現場で久々に会ったウメは今週が夏休みらしいのだ。
ウメというのは僕より10個下で、HEAD ROCKというサウンドを同い年のトシと2人でやっている奴だ。
思えば連中とも30年以上にもなる長年の付き合いの仲間だ。
元料理人なのだが、勤め人は有給休暇というものがあることを知って、落雷を受けたように驚いて、以来、工場働きなどばかりしている、目がキラキラした純情男だ。
「明日飯でも行くか」
「分っかりやした」
さて。
今回の旅の最終盤戦が始まるのであった。