Episode 1 : ファイナル其の壱。
僕の住んでいた小田原の家の借地権に関する問題が決着することになった。
2022年の夏から初めて足掛け2年。長かった様な気もするが、最短のプロセスだった様な気もする。
結論から言えば僕にとっては200点ぐらいの結果だ。これ以上多くを望むのは良くないだろう。
その最終手続きのために小田原に向かうことになった。
なったのだが、出発を前にやって来たのが、あのノロノロ台風10号のサンサンだ。
当初、31日の土曜日が甥っ子晴樹くんの誕生日なので、そのお誕生日会をやって、その翌日の9月1日日曜日に出発する予定でいた。
いたのだが、日本国中がイラっとしたあのサンサンの移動速度で、先行きが読めない。
そんなこんなしているうちに周辺の雲が発達して、小田原辺りが記録的な大雨に見舞われたりして、「大丈夫かよ」みたいな状況が3日ぐらいは続いた。当初の予想ではとっくに抜けていると思われた金曜日になってもハッキリとは見通しが立たない。
まあ、焦ってもしょうがない。裁判所に行かなくてはいけないのは9月4日の水曜日だ。最悪その日の午前中に小田原に居ればいいし、いくらノロノロ台風であっても、それまでには通過するか、温帯低気圧になってやがて消滅するだろう。
遅くとも9月3日の火曜日には出発出来ると踏んで様子を見ることにした。
土曜日に晴ちゃんの誕生日会をやって、日曜日の出発は見送り、予定していた日程より1日遅れの9月2日の月曜日に名古屋を出発した。
東名入り口手前のちょっとハイソでシャレオツなスーパー「フィール」で弁当を買う。これを新東名の藤枝サービス・エリアで食べるのだ。
新東名のSA飯はどこも本当にもう食い飽きたし、大体1000円前後と割とお高い。390円弁当を青空の下のベンチで、お茶サーバーの無料のお茶を飲みながら食べる方がよっぽど美味いのだ。
藤枝SAに到着して。まず、ゆっこさんが一服などしている間に、土産物を物色。と言ってもこれらの商品も随分見飽きている。
トラック野郎向けのCDの中にビーチボーイズのベスト盤でもあれば買おうかと思ったが、当然無く、子供騙しのキーホルダーや何やら売ってるコーナーでぶらぶらしながら何気なく手に取ってみたものが、僕のアンテナにメチャクチャ引っ掛かるヤツだった。
「猫拝」。猫が拝んでいるという全5種のガチャガチャのフィギュアだ。
僕が買ったのはガチャガチャ・マシーンでは無く、個別に箱に入ったもので、値段も380円と割高だった。
でも、どうしても右端のロシアン・ブルーが欲しくて買ってしまった。
何故なら僕はかつて、ロシアン・ブルーの様な見た目の、全身グレーの雑種猫、キーシャと、彼女の産んだ雄猫のセスと一緒に10年近く暮らしていたからだ。
キーシャの顔が可愛過ぎてその写真を採用したが、背景には僕の太ももとパンツが写り込んでいるので悪しからず。30年近く前の写真だ。
キーシャのことはさておき、購入した猫拝はノルウェイジャン・フォレスト・キャットだった。残念。
でも可愛らしいので気に入った。今回の旅のマスコットとしてそばに置いておいた。
藤枝SAの藤棚の下のベンチで海苔弁を食べて、そこから更に新東名を走ること1時間ちょい。大井松田インターを降りて30分弱。小田原市に到着した。
記録的な豪雨に見舞われた小田原市であったので、姉ちゃんの家に行く前に、かつての我が家の前を通ってみた。明後日には僕の手から離れる物件なのに、今ぶっ壊れて隣近所に迷惑を掛けていたらトンデモない事態である。
流石にそんなことは無かった
この日は姉ちゃんが抜歯をしたとのことで、まともに食事が出来ないと言うので、我々夫婦は夜の小田原の街に繰り出すことにした。
珍しくゆっこさんから外で食べようという提案だった。
ならばと思い、姉ちゃんの家から歩いて30秒ぐらいにところにある、馴染みのアジアン飲食店「SKP」に行ってみたのだが、月曜日は定休日の様だ。マレーシア人の店主のスクーピーのマレーシア・カレーとロティの味を確かめたかったのに残念。
仕方がなく姉ちゃんの家から歩いて1分ぐらいの焼き鳥屋で小1時間ぐらい飲って、そろそろあがろうかななんて思ってたところにやってきた客が、そのスクーピーだった。
そこからはスクーピーが奢ってくれて呑み直し。
定休日の月曜にはこうして呑み歩いて市場調査と知り合いの店に顔出しをしているらしい。
彼だって小田原で店を構えてもう30年近くになるんじゃないだろうか。外国人だけどポッと出でははない。
それでもそうした積み重ねを欠かさないのだ。それはそれで偉いと思う。
スクーピーの店はお客さんがいる間はずっと開けている店で、自分の店の閉店後に同業者、つまり飲食店主が呑みに来ることも多く、今はどうか分からないが、土曜日とかだと、明けて日曜日の朝9時ぐらいまでやっていることもよくあった。
それでもいつも黙々と働いていた彼が、今夜は我々夫婦に奢ってくれた。
今夜のスクーピーは何かカッコよく見えた。
スクーピーには今週中にお店に顔を出すと言って別れた。ラスト・ツアー最初の夜はこんな風に更けて行ったのだった。
翌日の9月3日の火曜日は、午前中に今回の裁判通じてお世話になった不動産業者のKさんに御礼の挨拶をしに向かった。
Kさんは僕の高校の同級生で不動産屋さんの友人の不動産業者仲間で、これまた高校の同級生の営む居酒屋さんで紹介してもらい、今回の案件を担当してもらった。本来弁護士などに依頼すべき筋の話を、彼自身も手探りしながら丁寧に解決まで導いてくれた。
本当に感謝である。
その後、中町の僕の育った実家の最終片付けに向かった。大気はまだ不安定で急に土砂降りの雨になった。
僕の退去期限は2024年の9月いっぱいではあるのだが、こっちは去年の6月ですでに準備は出来ていたのだ。わずかに残った荷物をキャラバンに積み込んで。明日裁判所で鍵を先方の弁護士に渡してしまうつもりだ。
空っぽの我が家の各部屋に2人で「バイバイ菌」を告げて、これで本当のお別れである。
9月4日水曜日。13時30分の審問に出廷。示談成立書の文言を裁判官が読み上げ、互いに内容を確認し、書類を裁判所が原本を3通作成し、当事者全員がそれを所有することで、本件は決着した。
その場で家の鍵を渡し、その受け取りに押印し、これで僕が直接やることはもう何もない。
スッキリはしたが、あまり実感としては湧いてこない。7月の末に示談の内容を合意した時の方が達成感があったかも。気分的にはもうあの時に終わっていたんだ。
明日は胃ろうになった母ちゃんの退院のケアを僕がやることになっている。家のことは終わったが母ちゃんの介護は未知の領域に突入するのだ。
そんな思いを胸に秘めつつ、今回は、姉ちゃんの最近のお気に入りのアイドル野郎の演じるBLドラマを半強制的に見せられてから寝たのであった。