小田原へ早速帰郷の旅旅モロ

Epsode 1: 出発したはいいけどクルマが、、、。

てな感じで2023年7月28日、僕と奥さんの二人で「小田原に早速帰郷の旅」に出発した。

今回の旅の目的は、まず僕のお母ちゃんの92歳の誕生日を祝うこと。この数年、母の誕生日に、姉の家でのささやかな食事会が続いている。名古屋移住した直後でもあったがひとまずこのタイミングで戻ることにした。

それとまだ残っている小田原の自宅の片付けをすること。実家を終うというのは大変なのだ。50年から住んだ家である。しかも元工場。まだ少しかかりそうだ。

といった具合で出発したのだが、東名高速に入って、加速した途端に車に異変が。右後方から「キュルキュルキュル」という異音が聞こえ、車体が上下に振動し、加速するほどにそれは大きくなる。

実は一昨年、2021年の1月に一度、左前輪のバーストを新東名のトンネルの中で喰らったことがあった。

奥さんの実家で年末年始を過ごし、小田原へ帰る途中のことだった。その時もそれまであまり気にしてなかったちょっとした振動をハンドルに感じていたのを覚えている。そのまま1週間ぐらい名古屋で過ごし、帰路でバーストが発生。以来、タイヤの空気圧には注意を払ってきた。

今回も高速乗る直前にスタンドに寄り、給油と一緒に空気圧もチェックしてもらっていた。

ただ以前の記憶が蘇り不安が増す。途中のサービスエリアで、とりあえず小田原でずっと世話になっていたクルマ屋さん、柏山のFlex AutoのO社長に状況を伝える電話をし、明日診てもらう事にした。

時速120Kmが制限速度の新東名だが、怖いので90Kmぐらいに抑えて走り続け、何とか大井松田インターを降りることが出来た。ひと安心だ。

だが道中は気が気ではなかった。ドライヴ全然楽しくないし、写真も撮らなかった。旅の中で聴いた音楽も重要な要素として考えていたのに身が入らない。因みに聴いていたのはHERBIE HANCOCK [NEW STANDERD]、D’ANJERO [BROWN SUGAR]とかだった。

まだあまり懐かしいという感じがしない小田原の街。少しは涼しいのかと思ったが、あまり体感温度では分からない。東町の業務スーパーで寿司などを買って夜のパーティーに備えた。

小田原大橋に差し掛かれば箱根の稜線も見えてくる。
そしてくまもとらーめんブッダガヤも見えてくるのだ。

お母ちゃんはもうあまり僕のことや、甥のこと、姪のことも、ちゃんとは認識出来てないと思う。それでも喜んではもらえて良かった。

千葉を拠点に美術系の仕事をしていて、この夜はトンボ返りしなけれないけなかった甥と、結婚を機に旦那さんの仕事の関係で大阪で暮らしている姪は、時間差で到着したので、甥姪兄妹はこの夜は会えなかった。それでもそれぞれといろいろと話せたので僕は楽しかった。

僕のiPhoneで写真を撮ったので2人にそれぞれ送ったら、甥のLINEに前回送ったのが、一年前の同じ様な写真だった。そんなタイミングでしか顔を合わせることもなくなってきた様だが、2人とも元気にやっていたので大変良かった。

ハート仮面は奥さんだ。顔出しはNGなのだ。
そういう意味では母、姉、甥、姪の許可は取っていない。

翌日は実家の片付けに奥さんと2人で向かった。

大体は済んでいるのだけれど、あと1回、もしくは2回ぐらい、久野の小田原市環境リサイクル・センターに直接粗大ゴミを持ち込む必要がありそうだ。

そういう用事で戻ってきたのに頼みのCARAVANくんは診察に向かわねければいけない。

そんな時にFlex AutoのO社長が持ってきてくれた代車はこの子だった。

デデンと頼もしい限り。
ヤオマサ中町店に鎮座する勇姿。

キメキメのダイハツの軽トラくん。マニュアル仕様。

この土曜日から月曜日の午後まではこの子と過ごすことになった。久々のマニュアル車の運転は楽しかった。やっぱ忘れてないもんだね、昔叩き込まれたことって。

ある程度片付けて、捨てるものを1箇所に集めたら今日のところはそんな感じで終了。風呂にでも行こう。小田原に住んでた頃から奥さんは大常連だった鴨宮のスーパー銭湯「コロナの湯」にこの軽トラくんで向かったのであった。

風呂って高くなったよね〜。混んでるし。サウナブームって早く終わってくんないかな〜。

風呂上がったら今夜は飲み会だ。やり過ぎ注意だな。

ということで、Epsode 2に続く。

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