からのぉ〜。エイリアン一気見Week。
「エイリアン・ロムルス」を見て来て、もう見ずにはいられなくなっていた。
かくして「1日、1エイリアン」をモットーに、「エイリアン一気見Week」がスタートしたのであった。
改めてエイリアンに向き合ってみると、如何にこのシリーズが凄いのかがよく分かった。
まず最初の作品「エイリアン」。
この映画が公開されたのが1979年。僕が中学校1年生の時である。
多分映画館に見に行ったと思うのだが、記憶は定かでない。定かではないが、どんな形ではあれ、確実に見てはいる。
H・Rギーガーという人がデザインしたエイリアンの造形がとにかく画期的過ぎるのだが、今でこそアレがどんな形をしているのか、ディティールまで分かっているが、あの当時は1回見たぐらいじゃどんな化け物か把握することが出来なかったと思う。
余談だが、当時週刊少年ジャンプに連載されていた「進め!パイレーツ」という漫画が好きだった。で、この映画公開のタイミングのTVCMで、宇宙空間に惑星が半円形で映っているのがあったのだが、「進め!パイレーツ」で、そのパロディで、半円形がパカっと割れて、実はそれは饅頭で、アンコの中に絵が入っていて、オッサンが出てきて「絵入り餡」とか言ってたのが、割と鮮明に思い出される。どうでもいいことなのに。
とにかくこの作品は新たな世界を創り出した、紛れもない大傑作である。創造の原点であることの価値はあまりにも大きく、これを超えることは不可能だ。
ただリドリー・スコットがスタンリー・キューブリックの影響を受けていることは有名で、この意味においては「2001年宇宙の旅」は改めて偉大であることに気付かされる。
それにしても本格的な「SFホラー」という意味ではやはり大きな影響力を持っている。本当にメチャクチャ怖いのだから。
大して映画通でもない僕が偉そうに言うまでもないが、リドリー・スコットと言えば、この後、サイバー・パンクというジャンルを確立した「ブレードランナー」を制作するわけだが、奇しくも「エイリアン」シリーズは「ブレードランナー」同様、アンドロイド(当然スマホでは無い)の存在が絶対欠かせないお話しだ。
後にリドリー・スコットは、再び監督として制作した5作目「プロメテウス」、6作目「エイリアン・コヴェナント」で、そのアンドロイドの存在の意味合いを強力に強めることになる。
お話の舞台は2122年。ウェイランド・ユタニ社の所有する宇宙貨物船ノストロモ号は地球に向けて航行中だったはずなのだが、ハイパー・スリープ(冷凍睡眠)から目覚めたクルーたちは船が全く違う、レクチル座ゼータ第2星系の小惑星LV-426に向かっていることに気付く。
生命体と思われる存在が発信した電波を受信したメイン・コンピューター「マザー」が進路を変更したのだった。ウェイランド・ユタニ社との雇用契約では「地球外生命体と思しきものと接触した場合、その調査を最優先する」とあるために、クルーたちはLV-426に着陸して調査に向かったのだが、、、。
第2作目。原題は ” ALIENS “。アレがたくさん出てくることはタイトルからも明白だ。
前作でやっとの思いでエイリアンを船外にブッ飛ばして、誰ががサルベージしてれることを期待して、猫のジョーンズと共にハイパー・スリープに入ったリプりー(シガニー・ウィーバー)だったが、彼女が目覚めたのはあの出来事から何と57年後のことだった。
舞台は2179年。リプリーが目覚めたのはウェイランド・ユタニ社の所有する大型貨物船の中。
エイリアンとの遭遇、地球外生命体の捕獲を最重要ミッションとしてプログラムされていたアンドロイドのアッシュの行動により、クルーは危険に晒され、全員エイリアンに殺害されたことを主張するリプリーであったが、全く信用されず、逆に船を破壊した賠償責任問題を問われる立場になってしまう。
更にあの惑星LV-426には20年前から人を入植させているのだと言う。そしてその入植者157人の消息が突然不明となる。
その捜索に協力を求められるリプリーは、当然行きたくは無いのだが、毎晩見る悪夢を振り払うために、海兵隊一個小隊と一緒に、あのLV-426に乗り込むことになるのだが、、、。
今作の公開年度は1986年。監督はジェームス・キャメロン。言わずと知れた「ターミネーター」シリーズ、「タイタニック」、「アバター」シリーズなどを手掛けたこちらも巨匠中の巨匠だ。
「エイリアン2」が公開される2年前の1984年に「ターミネーター」の1作目を既に発表しており、鳴物入りで監督就任したことは想像に容易い。派手なアクションと破壊のシーンでお馴染みな映像作家なだけに、「エイリアン2」は、公開当時のキャッチ・コピーが「今度は戦争だ」であった様に、廃墟となった居住区での、海兵隊とエイリアンのバトル・アクション巨編となった。
この辺は宇宙船内という閉鎖空間が舞台だった前作と大きく異なる。
そして大量の卵を産み続ける巨大なクイーン・エイリアンの登場と、荷物運搬用のロボットに乗り込んだリプリーとの対決がクライマックスとなる。
人気キャラであるリプリーの味方のアンドロイド、ビショップの存在も忘れる訳にはいかない。
シリーズ第3弾。公開年度は1992年。監督は何とデヴィッド・フィンチャーだ。
フィンチャーと言えばサイコ・サスペンスというか、人間の心理的な部分を描いた映画が秀逸で「セブン」や「ファイト・クラブ」、「ベンジャミン・バトン」などが有名で、あまりSFという感じではない。
個人的には、Netflixのドラマ・シリーズ「マインド・ハンター」(これ未完なので是非続きを作って欲しい)や、オリジナルの映画「ザ・キラー」などツボ中のツボで、スナイプに失敗した殺し屋が追い詰められて行く様の描写など、メチャメチャ良かった。
「エイリアン3」以外にSF作品を作ってない点に関しては、実は「エイリアン3」が監督デビュー作で、編集に映画配給会社の意向が入り込んで来たりしたのもあり、フィンチャー自身はあまり気に入っておらず、自分の作品として認めてないのだという。僕なんかはこの3作目も結構好きなので、勿体無い話だなと思う。
今作の舞台となる犯罪者の流刑地である惑星フィオリーナ161の刑務所内の、ゴシック・ホラーを思わせる絵画的な映像美なんて素晴らしいし、1とも2とも違う世界観を創り出していると思うんだけどなぁ。
加えて刑務所の排気溝内を逃げ回る様子は、武器で戦う2とは異なる、ある意味、1への原点回帰とも言えるのではないでしょうか。
今作の時代設定は2と同じ2179年。
居留地の最後の生き残りの少女ニュート、海兵隊の生き残りヒックス、上半身だけになってしまったビショップと共にLV-426から脱出したリプリーであったが、今度はハイパー・スリープ中に船内に謎の火災(実は潜んでいたフェイスハガーの唾液の酸が原因)が発生。アラートが発令され、脱出艇は航行困難となり、刑務所惑星フィオリーナ161に不時着する。
ニュートもヒックスも死亡。ビショップも修復困難な状態に。加えてフィオリーナ161には男性しかおらず、全員坊主頭。リプリーも坊主頭になる。
今回のエイちゃんは、脱出艇内に潜んでいたフェイスハガーが犬にへばり付き、犬を宿主にして誕生した4つ足歩行の「ドッグ・エイリアン」だ。ヤツが疾走するエイリアン目線のカメラ・アングルが今作の襲撃シーンとしては印象的で、よく出てくる。
アンドロイドの登場人物としては、壊れたビショップとの会話のシーンがあるが、それだけで、修復不能を理解しているビショップ自身が希望してリプリーは電源を切る。
今作からはシガニー・ウィーバー自身もプロデューサーの1人として名を連ね、影響力を強めていると思われる。例えば坊主頭になったリプリーではあるが、逆に過去作よりも女性的な見え方をしている。
シリーズ第4弾。原題は “ALIEN RESURRECTION” 。”RESURRECTION” とは「復活」を意味する。
1998年公開。世紀末にエイリアンが復活した訳だ。
前作で自身がクイーン・エイリアンの幼生を宿していることに気付いたリプりーは、自ら溶鉱炉の中に身を投じて、この忌まわしい連鎖を断ち切ろうとした。2179年にそれは終わったはずだった。
しかしその200年後、2379年にリプリーは、フィオリーナ161に残っていた彼女の血液を元に、クローン再生されてしまう。再生の目的は彼女の体内のクイーン・エイリアン。そのためにリプリーごと再生したのだ。
再生したリプリーは本来持ってないはずの前世の記憶を持っていた。
更にエイリアンごと再生された影響で細胞レベルでの変化が起きており、血液は若干だが酸を帯びており、力も強く、何となく見た感じも大きく見える。性格もこれまでの彼女よりクールでニヒルな感じになっている。
「8号」と呼ばれるリプリーが再生されたのは軍の実験船「オーリガ」。ここでは海賊船「ベティ」が強奪してきたハイパー・スリープ中の人間を、クイーンの産んだ卵の宿主に使用して、エイリアンを培養する実験が行われていたのだ。
だが、リプリー同様、再生されたクイーン・エイリアンにも細胞レベルで影響が現れており、子宮を獲得し、胎生で子供産むのだが、それは「ニューボーン」と呼ばれる全く新しいバケモノだった。
そしてオーリガ内でのエイリアン、ニューボーンとの壮絶なバトルの末に、リプリーは最終的に海賊船ベティで地球に帰還する。
実に260数年ぶりの帰還である。
今回の監督はフランス人のジャン=ピエール・ジュネ。あまり良く知らん。見てはいないが「アメリ」という作品を撮った人の様だ。今作がハリウッド作品デビューだったらしい。
今作のアンドロイドはコールという女性タイプで、ウィノナ・ライダーが演じていた。
彼女はもちろん多くの出演作があるのだが、僕にとってはやはり、何と言っても2025年にシーズン5の配信が待たれるNetflixの大人気SFホラー・ドラマ・シリーズ「ストレンジャー・シングス」だ。
コールは今までのアンドロイド、アッシュ、ビショップとは異なり、明確にエイリアンの地球持ち込みを阻止することが最重要ミッションとしてプログラムされており、最初はクローン再生されたリプリーを暗殺する目的でオーリガに乗り込んでいる。
前作3が公開された1992年と今作の公開の1998年の間に映画界で何が起こったかと言えば、それは1993年に「ジュラシック・パーク」が公開されたことだ。「ジュラシック・パーク」は初のフルCG画像を最初にスクリーンに登場させた映画として知られている。
この映像革命はエイリアン世界にも当然影響し、4ではフルCGのエイリアンが初めて登場した。それが泳ぐエイリアン「アクア・エイリアン」である。
世紀末に完結したはずのエイリアン・サーガは、14年の時を経て、2012年に創造主リドリー・スコットの手で再び幕を上げることとなる。
お話の時代設定は2089年。リプリーが最初にエイリアンに出会う33年前。今から65年後の世界だ。
映画の冒頭で。謎の色塗りの巨人(3mぐらい)がイグアスの滝みたいなでっかい滝の上で、謎の黒い液体を飲んだあと、苦しみながら滝壺へと転落する。パッと見、何のこっちゃと思ったが、水中で彼の体はその薬品と反応し、溶け、解け、そのDNAを世界に広めることになる。
それが人類の起源である。と前提するのがこの映画だ。
時は流れ2089年。
科学者たちは人類は猿から進化したのではなく、彼らの呼ぶところの「エンジニア」という存在に造られたもので、古代遺跡の解読から判明した星図にある未知の惑星に、種の起源の謎を解く鍵があると仮説を立てる。そしてウェイランド社が出資して、科学者選抜チームを編成し、宇宙船プロメテウス号で、その惑星LV-223に向かうのであった。
2093年。航行を管理していたアンドロイドのデヴィッドの手で4年のハイパー・スリープから目覚めたクルーはLV-223に到着する。そこには明らかに自然のものではない構造物と滑走路の様な直線の道が存在した。
その中にあった化石化した複数の巨人の遺体。それは2000年前のものであり、そのDNAは人類のものと完全一致した。やはり彼らは「エンジニア」だったのだ。
そして何故彼らは大量死したのか?
第1作の惑星LV-426にあった、巨大な宇宙船とその中にあった操縦席の様なもの、更にそれに乗ったまま化石化した巨人、ファンの間で「スペース・ジョッキー」と呼ばれるその存在の謎に迫る作品で、それは明らかにされる。
劇中のアンドロイドであるデヴィッドの台詞で、宇宙服を着てヘルメットを装着した彼にクルーの1人が「何故呼吸もしないのにヘルメットを被るのか?」と問われ、「あなたたちのため私は人間に似せて造られました。」と返答するシーンがある。
聖書の創世記にある「神は自分の姿に似せて人を作った」という話を思わせる台詞だ。
デヴィッドはそれがプログラムなのか、バグなのか、何なのか分からない行動をよくとる。
遺跡の中にあった謎の円筒状の容器を持ち帰り、中からアンプル状の黒い液体を取り出し、科学者の1人ホロウェイのシャンパンに混ぜてそれを飲ませ、結果、ホロウェイを死に至らしめてしまう。
単独行動で遺跡内を探索し、様々な機械を勝手に起動させたりする。
最終的には遺跡な内部にあった宇宙船のコックピットを発見。中にあった1体だけ残っていた冷凍睡眠中のエンジニアも発見。更には操縦方法まで学習してしまう。
このデヴィッドの謎の行動は次作「コヴェナント」に引き継がれる。
プロメテウスとはギリシャ神話で、ゼウスの反対を押し切って人間に火を与えた神だ。
その火、「プロメテウスの火」は強大でリスクの高い科学技術の比喩として使われる言葉だ。原子力のことをそれに例える場合も多い。
やっとここまで来たか。
2017年公開のシリーズ第6弾。監督は前作から引き続きリドリー・スコットが担当しており、「プロメテウス」の続編である。
” COVENANT ” は契約を意味する。
前作より25年後の2104年、植民船コヴェナント号は、多くのクルーと冷凍睡眠状態にある2000人の入植者を乗せて惑星「オリエガ6」に向かっていたのだが、エネルギー・チャージ用に広げた帆に宇宙嵐の様なものを受けてしまい、大きなダメージを受け、その際に船長のブランソンが亡くなってしまう。
惑星オリエガ6到着までには、更に7年のハイパー・スリープが必要である。
そんな折、近くの未発見だった惑星から故意と思われる電波を受信する。亡くなったブランソンの妻で、移民計画の責任者であるダニエルズは反対するが、新任した船長代理のオラムはその惑星を調査することを決める。
その惑星に降り立った調査隊を待ち受けていた脅威。それはキノコの胞子の様な微細な粉末の形態で人間の体内に入り込み、宿主とし、成長すると宿主の体を突き破って誕生するエイリアンだった。
彼らが降り立ったその惑星こそ、前作のラストで最後まで生き残ったエリザベス・ショウ博士と、首だけになったアンドロイドのデヴィッドが向かった惑星、エンジニアたちの母星だったのだ。
人類を創り出したエンジニアであったが、今度は人類を滅亡させるための生物兵器を開発していた。その研究施設のあるLV-223で、実験中に、自ら開発したエイリアンに殺されたのであった。
前作のラストでは、エンジニアのその行動原理を理解するために、ショウはこの星に向かったのであった。
話は「コヴェナント」に戻るが、調査隊を出迎えたのは完全に修復を終えたデヴィッドだった。
更にコヴェナント号のアンドロイド、ウォルターはデヴィッドと同じタイプの後継機種で、双子の様に全く同じ外見をしていた。
そしてラストで、アンドロイドであるデヴィッドが抱いていた恐るべき野望に我々は驚愕するのであった。
本作はシリーズ中で初めて雄大な自然の中を登場人物たちは進んで行くという描写がある。
エイリアンには形態によって名称があり、卵から飛び出して人間の顔に張り付く「フェイスハガー」、胸を破って飛び出してくる「チェストバスター」、そして最終形態を「ゼノモーフ」というのだが、このお馴染みの形態変化する種を、DNA操作などで創り出したのが、あのデヴィッドだったという設定だ。
なので「プロメテウス」に出てくるのはモドキばっかりで、ゼノモーフは登場せず、「コヴェナント」のクライマックスでしか登場しないのだ。
エンジニアが人間を創り、人間がアンドロイドを創り、アンドロイドが完全生物エイリアンを創った。そんなオチであった。
創造主リドリー・スコットが作った「プロメテウス」、「コヴェナント」ではあるのだが、最初の「エイリアン」の制作時の1979年とは、現実世界でのテクノロジーの進歩も、映像の技術もかなり違う。
違い過ぎるために1979年の「エイリアン」ではコンピューターはブラウン管のモニターだったのに対し、その前日譚であるはずの「プロメテウス」で、例えば立体画像を空間に映し出すような映像インターフェイスが使われていたりと、そこここで矛盾が生じてしまっている。
そういった点が、ディープなファンからは敬遠されてしまっているのかも知れない。
そして最新作「エイリアン・ロムルス」だ。
監督はウルグアイ出身のフェデ・アルバレスという方。
調べたところ、過去作でも「死霊のはらわた」や「悪魔のいけにえ」などもリメイクしており、相当80年代ホラーのマニアの様だ。まだ未見だが、この人の出世作と言われている「ドント・ブリーズ」は見てみようと思う。
時代設定は2142年。レプリーが最初にエイリアンに出会って戦った20年後の話だ。なのでこの時レプリーは、まだ宇宙空間を彷徨いながらハイパー・スリープをしている状態のはずである。
ウェイランド・ユタニ社の無人探査船が、かつてノストロモ号が爆破された付近の宇宙空間で生体反応をキャッチする。
何と、20年前にリプリーに吹っ飛ばされたはずのゼノモーフ、通称「ビッグチャップ」は、繭の状態になってまだ生きていたのだ。
回収された繭は、機体の端と端にロムルスとレムスという2つの実験棟を持つ宇宙ステーションに運ばれる。
ロムルスとは伝説上のローマの建国者で軍神マルスの息子で、その双子の弟がレムスである。そしてレムスはロムルスに殺される。
ウェイランド・ユタニ社の経営する鉱山のあるジャクソン星で、不当な賃金でこき使われていた5人の若者と1体の旧型アンドロイドは、廃棄され漂流している宇宙ステーションがあることを知り、そこにあるはずのハイパー・スリープ用のポッドを盗み出して、ユヴァーガ第三惑星へ移住することを計画する。
その宇宙ステーションこそが、ビッグチャップを回収して、クイーン無しでフェイスハガーを遺伝子操作で作り出す実験をしていた場所で、何がしかのアクシデント(当然エイリアンにやられて)により、無人となり放置されていたものであったのだ。
ここまで舞台が整えば、あとは密閉された宇宙ステーションの中で、若者が逃げ回る恐怖の惨劇が繰り広げられるのは明白である。
それが「エイリアン・ロムルス」だ。
この作品はシリーズ通して初めてのスピン・オフ作品だ。なので前6作との直接的な繋がりは基本、無い。
ただシリーズ全体への強烈な愛に満ち満ちたオマージュである。
そこここに散りばめられた愛ある小ネタの数々からは愛しか感じない。
そして「プロメテウス」「コヴェナント」で何となく小難しい話になってしまったエイリアンの世界を、痛快なまでに強引に原点回帰させた問答無用の娯楽作である。
だから面白いのだ。
全体的なイメージとしては、1979年エイリアンにテイストは最も近く、ちゃんとしたホラーに仕上がっている。
だがそれだけではなく、「4」のニューボーンであったり、「プロメテウス」の黒い液体であったり、キチンとリスペクトを持って踏襲されている。
また完全にCGに頼ることはなく、アニマトロニクスという最新ロボット技術を使い、実物大のそれを作ったことによる質感が、映像に生々しさを加えているのだ。
スピン・オフだからこそ可能になったシリーズ全体のオマージュ作品。
そんな映画だった。
余談だが近々エイリアン世界の初のドラマ・シリーズ「エイリアン:アース」の配信が始まる様だ。オンリー・オン「Hulu」だそうだ。
んだよ、もう。そんなに何個も何個も動画のサブスクなんてやってらんねぞ!
でも見ちゃうんだろうなあ。
追記
忘れていたが番外編的な「エイリアン VS プレデター」が2作あった。両方とも見たことはあるが、マンガみたいなもんだ。場面場面、カット毎の絵のカッコ良さなどはあるが、プレデターがエイリアンより強い、みたいな結論に憤慨したエイリアン・マニアは多いことだろう。
「エルム街の悪夢」と「13日の金曜日」が合体した「フレディ VS ジェイソン」とか、「リング」と「呪怨」が合体した「貞子 VS 伽耶子」などゲテモノは多いが、それはそれで面白がって見るのが正解なのだろう。