日々モロ

風来坊本山店とBBSSSの話。

僕の50代はソーラー音響の時代だった。

その10年間(正確には8年半ぐらい)、僕の企画や取ってきた仕事のPAエンジニアをしてくれたクニこと飯野邦彦くんが、同業のPA屋さん仲間の森本哲っちゃんと一緒に長久手に仕事でやって来た。宿泊は瀬戸のホテルだと言う。

それじゃあ飯でも食おうと言うことになり、本山まで出て来てもらい、風来坊の本山店に行ったのであった。

連中とは18時に本山駅の1番出口から地上に出たところで待ち合わせとして、僕はウチから歩いて向った。

20分ぐらい歩いた後、本山駅に近づくと、遠くに連中がまんまと居るのが見えたので、敢えてすぐには接近せずに、遠くから盗撮の様に写真を撮ってやった。

全く気付かない森本哲。
クニも現れた。
チッ!クニに気付かれた!

せっかくだし名古屋メシということで、そして向かったのが風来坊本山店であった。

本山店は直営の、謂わば旗艦店みたいなものらしく、僕が知ってる風来坊の御器所店や吹上店とは大分雰囲気が違っていた。

御器所や吹上はフランチャイズ店で、ファミリー経営であったり、それぞれに昔ながらの個性がある。

それに対してのこれだ。違和感しか無い。

何か違うな〜。
FU-RAI-BOってラップかっ!

だが気を取り直して乾杯だ。

テツ&クニ。テツ&トモではない。
何となく味付けも甘さが弱かった気が。

クニは以前までアル中レベルで浴びるほどに呑みまくっていたが、呑み過ぎてドクター・ストップがかかり、医者に「このまま呑み続けたら死ぬよ。」と宣告され、以来ピタリと呑むのをやめた。

酔っ払ったクニは面白かったけどな〜。でもまあ死んでもらっても困る。

さて、せっかくクニのことが話題になったついでに話は変わるのだが、、、。如何にして僕がソーラー音響を始めるに至ったか、というお話だ。

2011年の東日本大震災以降、ジャパレゲ・フェスの動員は減っていった。

それまで日本中のどのレゲエ・フェスでも1万人動員なんてザラだったし、そういう状態は10年近く続いていたと思う。

僕は2007年から2012年まで6回、岐阜の明宝高原での [Starlight Reggae Festa In 明宝] というイベントでメイン・ステージの制作の仕事をしていたのだが、やはり2011年のお祭り騒ぎ自粛ムード以降の動員は減り、2012年の開催は規模を縮小し、DJイベントに変更した。

2013年もDJイベントで企画は進行していたのだが、その年の7月頭に右足首を骨折するという大怪我をしてしまい、9週間の入院を余儀なくされ、スタッフを降りた。

その秋、 [Starlight Reggae Festa In 明宝] 主催の故坂野さんより、一旦、明宝スタッフ解散的な話があり、自分の身の振り方を考え直すことになった。

そこで考えた。

これまでレコードの輸入・買い付け、レゲエ・サウンド、レコード会社A&R、興行としてのフェス制作などをやって来た訳だが、行政絡みの市民系のイベント仕事はまだやったことがなかった。

何事も経験である。

次は行政絡みのイベント制作にでも手を出してみようかと思い、2013年の10月と11月、明けて2014年の8月から11月まで、ちょうど求人のあった期間限定の神奈川県主催のアート・フェスティバルの仕事をやってみた。

これまでのチケット売ってナンボの世界とは違い、執行される予算を使って制作するイベントは新鮮だった。だってチケットの売り上げに一喜一憂しなくていいのだから。

ま、別の気苦労はあったのだが。

そしてそこで田口造形・音響の故田口和典社長と久しぶりに再会し、縁あって始めたのが「ソーラー音響」だったのだ。

社長にはその昔、その当時で25年ぐらい前に、Brain Busterのスピーカーを作る時に作業場のパネルソーを貸してもらったり、ウーファーを取り付けるバッフル板を作ってくれたり、散々お世話になったのだった。

我が心の師、田口和典さん。

再会した頃、社長は新木場の工房でフラット・ユニットの業務用スピーカーの開発をしながら、若手のエンジニアたちと [RA ~ Energy Design] というソーラー電源を使った音響チームもやっていて、それこそ佐藤タイジの「Solar武道館」を最初から手助けしていた。

そもそも反原発の考え方をしていたし、東日本大震災の時も仙台に居て被災して、2週間帰って来れなかった僕は、音楽で反原発を表現出来ることに大いに感銘を受けて、まずは神奈川県主催のアート・フェスティバルの中で、機材を貸して貰い、見様見真似でソーラー音響をやってみたのだ。

感動だった。

電源も引っ張って来ずに、発電機を使わずに、音が鳴る。オレの作った電気で音が鳴る。

すると貸してもらったソーラー・パネルを何と社長がくれると言うのだ。このパスは是が非でも受け取らない訳には行かない。

速攻パネルに繋ぐバッテリー・アンプの作り方を教えてもらい、史朗とクニと3人で結成したソーラー音響ユニットが、北京原人のマークでお馴染みの [Brain Buster Solar Sound System] 、頭文字を取って [BBSSS] 。なのであった。

オレの作ったオレの電気で鳴らす音。僕にとって [BBSSS] とは正にフリーダム・サウンドであった。

当時営業用に作った資料の一部。
バッテリー・アンプの初号機と弐号機。
こんな感じでやったり、、、。
古民家でやったり、、、。
夏祭りでやったりし、、、。
こんなんやったり、、、。
こんなんやったりしたもんだ。

僕の取って来れる仕事は年間で大体15本程度かな?そんな感じだったし、行政絡みの仕事は予算が渋くて、みんなに安い仕事をやってもらったりもした。

クニはプロのPAなので、僕の仕事以外にも多くの仕事をこなし、それだけで充分喰っていたが、もちろん僕はそう言う訳にはいかず、Amazonで派遣社員で働いたりもしてた50代だったが、楽しくやっていたもんだ。

名古屋に移住する際、自前の機材は自分の部屋に持ち込んで使っているが、ソーラー・パネルとバッテリー・アンプは保管場所も無く、マサヒロにもらってもらった。

今の部屋から機材を気楽に出し入れすることは不可能なので、実質、PAの仕事は断念して、現在に至るのであった。

2015年、伊豆の奥地の奇祭のPAやった時。

そんなクニとの1年半ぶりぐらいの再会だった。

ちょっと遅れてゆっこさんも加わり、楽しく呑んで食ったのだが、いつの間にかクニが会計を済ませていた。

「おいおいそれじゃああんまりにもアレだろ」ってことだったのだが、「まあまあまあまあ、それはそれと言うことで」となって、すっかりゴチになってしまった。

まあ、これが最後じゃないから、次はオレが奢るぜ!みたいな感じでお別れした夜なのでであった。

何だその顔!

因みにクニのお母様の作るスモーク・チーズは素晴らしく美味しく、過去にも何度か頂いたことがあったのだが、その時にもそんな話をしたら、後日、5本も作って送って来て下さったのだ!

何かおねだりしたみたいで(したのだが)申し訳ないです。

今度コチラから何か送らせて頂きます。

感謝。

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