何気ない日常の出来事。
今日、アピタ千代田橋付近を車で通りかかったら、「キッズ・キングダム」というちゃちい王国が出来ていた。
あれは何だったんだろう?
そんなことはさておき、ここ最近にあった出来事をサラッと。
サッちゃんがサッちゃん農園の作物を送ってきてくれた。マサヒロの奥さんのサッちゃんである。
ありがたい。
大地の恵みからパワーを得たのであった。
10月に入ってイベント・ラッシュが始まった。
先週末は、去年は被ってなかった3つのお祭りが一斉開催。
アロハ・ピクニックが土日の2デイズ。日・タイ文化フェスも土日の2デイズ。日曜には千種区民祭りが行われていた。
10月5日土曜日。
まずは朝9時半ぐらいにタイ・フェスにゆっこさんとお義母さんに連れて行かれた。スタンプ・ラリーに参加するためだ。制覇すると景品がもらえる。早く行った方が景品がいい、と言うのだ。
タイ・フェスに行くと言うより、スタンプ・ラリーをやりに行った感じだ。
ゆっこさんは歩くのが早い。
身長は僕とほぼ一緒ぐらいなのだが、彼女は歩くのが早い。普通に歩いてても早い。足の長さが違うのだ。
この日の朝は少しひんやりしていたので薄手のフーディーを羽織っていたのだが、急ぎ足で歩くうちに汗ダクになっていた。
全てのスタンプを押し終えて、いくつかの景品の中から今年も古川美術館の招待券をゲット。今回の券は古川美術館に加えて、別館の数寄屋造の御屋敷内にあるカフェでお茶も飲める券も付いていた。
翌日にもう一度スタンプ・ラリーをやりに行って、今度はタイ米300グラムをゲットしてきたお義母さんの話によると、お茶付き招待券はもう無かったとのこと。
早起きは三文の徳、ということらしい。
同日。
昼過ぎに名古屋港にアロハ・ピクニックに行った。
アロハ・ピクニックは桜山の丸山夫妻が中心となって開催している名古屋最大級のハワイアン・イベントで、これまで11年間、長久手の愛・地球博公園でやっていたのだが、今回初めてアクセスのいい名古屋港のガーデン埠頭に移動したのだった。
地下鉄で名古屋港に到着すると、事前に確認した場所と思ったより近いところでそれらしき音楽とアナウンスが聞こえてきたので行ってみたら、そこはポリネシアン・フェスだった。
紛らわしいなあ。
気を取り直して進むと、やっておりました。アロハ・ピクニックはこっちでした。
ステージ脇に行けばダイナスティの連中がPAで居るのかなと思ったら、今年はJOKERがDJでブックされているだけで、PAをやっていたのはレゲエバンド「マイヤーズ・ロック」のキーボードのカメちゃんだった。エンジニアのエイちゃんも手伝っていた。アキソルのリハをやってるのでほぼ毎週顔を合わすメンバーだ。
カメちゃんいつの間にこんな機材を、、、。
わたあめ、かき氷のスタンド錦の裏をベースに、ビールなど飲みながら、夏の様な10月の午後を楽しませてもらった。
翌10月6日、日曜日。
平和公園のメタセコイア広場で開催されていた「千種区民祭り」にちょこっとだけ行ってきた。
また9時半ぐらいに早足なゆっこさんの後について、汗ばみながら向かった。運動していると思うしかない。
このイベントは、去年はゆっこさんとタカちゃんでフリー・マーケットに出店していたのだけど、今年はバタバタしてたので見送った。結果、それで良かったと思う。
このイベントも朝イチで行かないと婦人部の出店する衣料品のブースのいい物が無くなってしまうのだという。
実際、彼女は300円ぐらいで何点か掘り出し物を見つけていた。
目利きなのである。
10月7日、月曜日。
この日はようやく戸籍を名古屋に移動させるのだ。
これまで移住して1年以上が経過しているが、地主との借地権交渉をしている間は住民票を移さないままにしていた。土地賃貸の契約書の住所がそうなっているからだ。そこを突かれて何やかんや言われるのも何なんで、そのままにしておいた訳だ。
そして9月にその件が決着して、今度は先方が建物の登記を変更するに当たり、僕の住民票を小田原のままにしておいて欲しいと逆に依頼され、そうしていた。
その登記の変更が済んだという連絡が先方の弁護士から届いた。
移住をして1年と3ヶ月。晴れて愛知県民、名古屋市民になることにした。
千種区役所に行ってマイナンバーカードの登録変更、新たな印鑑登録などを済ませ、最後に国民健康保険を変更する際に事件は起こった。
僕は低所得者なので、この数年ずっと医療費の限度額申請額が最も低い「オ」という区分でやってきた。
実際、癌治療とかって金がかかるのだ。
僕が飲んでいる「ザイティガ」という薬は、正確な金額は分からないが、無保険だと、おそらく4週間分で50万円以上はするシロモノなのである。
なので限度額申請は非常に重要なのだ。
それが区役所のガイドする順番で手続きを進め、最後に国民健康保険の変更だったので、この時点で僕はもう小田原市民では無くなっていたのだが、小田原市の所得証明書が無いと限度額は最も高い「ア」の区分じゃないと発行出来ないと言うのだ。
常に準備万端のゆっこさんもこれには激怒していた。そんなことはどこをどう調べても書いてないのだ。
時間に余裕があればいいのだが、この週の金曜日、10月11日には、僕は愛知県がんセンターに行かなければならない。
これまではどんなに高くても24,600円で済んでいたものが、このままだと最低でも29万円ぐらいは払わなければいけなくなってしまう。
最初から分かっていれば病院に行ってから住民票を移動したに決まっている。別に急ぐ理由はなかったのだから。
今後、多くの人がマイナ保険証に切り替わっていく訳だが、そうなった場合、こうした医療費の限度額申請も全て引き継がれると言う触れ込みだった筈である。
全く。クソの役にも立たねえじゃねえか。
でも千種区に文句を言ってもはじまらない。窓口の人も同情してくれている。
望みは小田原市役所の素早い対応を期待するしかない。
家に戻って、速攻、ゆっこさんが小田原市役所の担当窓口に直電。事情を書いたメモと一緒に申請書を郵便局から速達で発送した。
結果。
水曜日に小田原市発行の所得証明書が届いた。予想よりも1日早かった。火曜日に申請書を受け取った小田原市の担当が、その日のうちに速達で返送してくれたのだ。
すったもんだあったが、無事に区分「オ」の限度額申請に変更してもらえた。
10月11日、金曜日。つまりこのブログを書いている今日。
すったもんだしたけど、予定通り、今日は愛知県がんセンターで定期検診と化学療法(つまり注射)の日だ。
前にも触れたが、この4ヶ月ばかり、前立腺癌のマーカーの数値、PSAが倍々で上昇している。
毎回「今月下がっててくれれば、これまで通りで問題ないんだけどなあ」と思いつつ、血液検査を受ける。
このまま数値が下がらず、遺伝子検査も適合しなかった場合、いよいよ抗がん剤治療である。
まあ、そうなったらそうなったで、別にいいのだが、、、。
この日、泌尿器科の受付を済ますと担当のK医師は休診になったと言う。
「何いいぃぃ、、、。」
まあしゃーない。僕に選択肢は無い。
なのでアナザーK医師が今日は診てくれる言う。
アナザーK医師はかなりの切れ者と見た。
いつものK医師もいいんだが、ちょっとオトボケなところもあり、それはそれで彼の面白さでいいのだが、アナザーK医師はそういった欠点、隙の無い凄腕ドクター感が満載だった。
それはさておき検査の結果なのだが、見事にPSAの値は上昇していた。
今回は初めてご丁寧に直近半年の数値を折れ線グラフ化して見せてくれたのだが、右肩上がりが急上昇である。
このままではいよいよ来月は危険水域突入だ。
アナザーK医師は「もう抗がん剤を考えた方がいい」的なことを言う。最近の医療では早め早めでやるんだそうだ。
だが、元々からのK医師に「その前段階で遺伝子治療が効きそうであればやってみて、どっちにしても抗がん剤は年が明けてからとお願いしてある」とアナザーK医師に伝える。
「それは分かったが、何も手を打たない訳にもいかないので、今日から薬を替えよう」とい話しになった。
今度の薬は「イクスタンジ」という。
怠くなったりする副作用があるらしい。
でもよく聞くと、そう言った副作用はザイティガの方が強く出る傾向らしく、それなら、これまで2年以上ザイティガ飲んできたが、あまりそんな倦怠感とか感じなかったから、大したことはないだろう。
それよりも、ザイティガと一緒に飲んでいたブレドニンという薬をやめないといけないらしいのだが、急にやめることも出来ないのだという。
元々副腎が分泌していた、体のスタミナに関わっている物質を、ブレドニンが取って代わって補っていたとのことで、副腎の機能が元に戻らないうちに服用をやめると、何というか、元気が出なくなってしまうらしいのだ。
よく分からんが、その「元気が出なくなる」っていうのは、何て言うか、あまりよろしくはないワードだな。実際どうなるかは分からないけど。
いずれにせよ、PSAの上昇が止まって、安全な数値で安定した状態じゃないと、あまり冒険は出来ない、ということなのだ。
まあそんな訳ではあるのだけれど、僕自身にはあまり自覚症状は無い。
だからやれることをやって、元気出して行こか。それしかねえし。
来週は沖縄だし。
このブログを始めた時、「病気自慢のブログにするつもりはない。」と言っていた筈なのに、最近はちょっとそうしたお話が続いちゃったかな。
でも、ある程度は知っておいてもらいたい、ってのはあるからしょうがない。
サーセン。次からは元気出して行きまーす。