Episode 1 : セントレアから那覇へ。Day 1
旅、初日。10月17日、木曜日。
11時過ぎにタカちゃんに覚王山の駅まで車で送ってもらい、地下鉄東山線で名古屋駅に向かう。
丁度高校生が中間テストの最中の様で、大量の女子高生がホームに溢れ、乗り込むことが出来ず、1本、電車を見送った。
続いて名古屋駅から少し歩いて名鉄名古屋駅まで行き、名鉄本線の、急行やらなんやらの中部国際空港行きに乗る。
そこからの所要時間は、急行だったって言うのもあるが、大体25分ぐらい。
小田原だったらこうは行かない。
羽田に行くにしても、横浜まで50分ぐらいかけてJR東海道線で向かい、YCAT(横浜シティ・エア・ターミナル)からバスで20分ぐらいか。
歩き、乗り換え、待ち時間で、何だかんだで2時間弱はかかるのではないだろうか。
国際空港に家の玄関から1時間足らずで行けてしまうのだから、改めて名古屋は便利だと思う。
これまでの僕の境遇からすれば、この便利さを当たり前と思う勿れ、名古屋人たちよ、である。
何はともあれ空港に到着し、2人で1個にまとめたスーツケースをチェック・インして、まずはランチ。
散々迷った結果、若鯱家のカレーうどんを食って、最終の保安検査を抜けて出発を待つ。
至って順調である。
14:00。ANA309便で定刻通りセントレアを飛び立つ。約2時間のフライトだ。
機内のWi-Fiでこのブログを書けるかと思ったが、PCには機内モードがないのか、上手いこといかない。テキストだけなら打てるが、まあ、狭いし、やめておこう。
代わりに今回の旅用に用意した本「地球の歩き方〜神秘の国の歩き方、ムー JAPAN」でも読むか、と取り出してみる。
昨年、世界バージョンが出て好評だったらしい「地球の歩き方」のミステリー・スポット探訪の日本編である。
日本編の方が実用的だ。実際に行くことが容易である。
「地球の歩き方」も「ムー」も同じ学研の出版物で、編集部が隣り合わせなのらしく、実現したらしい。
だが、パラパラっとめくってはみたが、全く読める様な環境ではなかった。
座席の前後を赤ちゃんに挟まれてしまっているのだ。泣いている赤ちゃんには申し訳ないが、軽い地獄である。
赤ちゃんに挟まれて、オセロの様にひっくり返って、オレも赤ちゃんになって泣いたろうかっ!こっちも還暦なんだからっ!
冗談です。
浮かれて考えていた機内でのプランを全て放棄して、イヤフォンを耳に装着して寝ることにした。
搭乗機は定刻通り、那覇国際空港に最終着陸体制に入った。
赤ちゃんたちには申し訳無いが、やはり出来れば同席は御免被りたいというのが偽らざる心境なのだが、ベイビー叫び声地獄を耐えて、機体は無事滑走路に着陸した。
到着してiPhoneを見るとLINEに新着メッセージが。
ギブくんからだ。
我々を空港まで迎えに来てくれたのだ。ホント、ありがたい話である。
ギブくんの車で那覇市内へと向かう。
那覇市内は朝夕は道が渋滞しがちとのことだが、久しぶりトークが満開だったので、さして気にはならなかった。
ギブくんと前回会ったのは、2017年の6月。
茅ヶ崎在住で映像制作を仕事にしていて、歌も歌う、ヤスタロウの結婚式の時だから、7年振りか。
ヤスタロウが沖縄で結婚式を挙げるとか言い出すから、オイオイとも思ったのだが、せっかくの機会だからと便乗し、その時、史朗と一緒に、ギブくんの家に泊まらせてもらったのだ。
あの時はまだギブくんがギリ独身だったから無理やり押し掛けてしまった。今ではギブくんも5歳の女の子の立派なパパである。
更にギブくんが名古屋を離れ、沖縄に戻ってから、もう既に13年が経過しているのだという。
そりゃそうか。僕が還暦なんだから。マジやばい速度で時間が経っている。
そんなこんな話しているうちに那覇での滞在先、「那覇ウエスト・イン」に到着した。
今夜の夕食もギブくんが案内してくれるというので、チェック・インだけ済ませて、夜の那覇の街に繰り出すことにしたのであった。
「何が食べたいですか?」
「いや、まあ、普通に沖縄料理が食べれる居酒屋でいいよ。グルクンの唐揚げとか、海葡萄とか、、、。」
「分かりました。でもその辺の居酒屋だと、ちょっと食べて終わってしまいますから、ちょっと観光出来る様に国際通りの方でも行ってみましょうねえ。」
「オッケー。任せるよ。」
この、何気無く言った “グルクンの唐揚げ” というキーワードが後々我々の判断力を奪うことになるのであったのだが、、、。
那覇の繁華街を話をしながら何となく周遊して、結局、牧志公設市場付近の駐車場に車を停めた。
公設市場周辺は、古くなった店舗をリノベーションして、古さも残したレトロな感覚のバー、居酒屋が多く存在するスポットだ。
駐車場から迷路の様な路地を抜け、アーケード商店街に出る。
僕は前回の2017年に史朗と一緒に連れ来てもらっているが、ゆっこさんは子供頃以来の沖縄とのこと。フレッシュな光景の連続だったことだろう。
時刻はまだ20時前。リニューアルされたという公設市場もまだオープンしていたので、覗いてみた。
ひとしきり那覇の街中の雰囲気を味わったところで店探しだ。
歩くに連れ、店を決められない。
“グルクンの唐揚げ” を、あればつまみたかった我々夫婦は、所謂、観光客向けの居酒屋で良かったのだが、逆にこの辺は「センベロ」と言われる「1,000円で3杯、小鉢付き」というサービスの店がひしめくエリアで、そういったベタな “グルクンの唐揚げ” やら “海葡萄” といった雰囲気の店としてピンと来る感じがあまりない。
それでもそれでいいのだ。
“グルクンの唐揚げ” は、あくまで参考として口走ったワードな訳であって、絶対では無いのだ。
完全に入る店を選びかねている我々はウロウロとアーケード商店街を歩き回った。
大体からして「センベロ」って元々東京の下町やら、何なら僕の地元付近、平塚やら小田原辺りが発祥の言葉だと思う。
その前提として、飲み物はホッピー。当然、氷なんて絶対入ってない。そして食い物は豚のモツ焼き。
3冷(焼酎、グラス、ホッピー本体が、カチカチに冷えている状態)の固い(=濃い)ホッピーを3杯呑んだら腰が抜けるほどに酔う。
昔はそれに豚のモツ焼き一皿を当てに、締めて1,500〜1,800円ぐらいで楽しむことを「千円台でベロベロに酔っ払う」=「センベロ」と、そういう例えのことを言ったはずだと思う。
お酒好きの島んちゅうのカルチャーに溶け込んで、「センベロ」はいい感じに馴染んでいるとは思うが、「センベロ」の店に “グルクンの唐揚げ”は、あんまりない雰囲気だ。
「ギブくん、別に俺たちはそんなにこだわりはないよ。ギブくんのお勧めのお店に行こうよ。」
「じゃあ、自分の知り合いのお店でいいですか?」
「全然いいよ。そこに行こう。」
という感じで辿り着いたお店が「KAZAMI」さんというお店であった。
沖縄近海はメバチマグロと鰹がよく獲れる漁場である。当然美味しかった。何の問題も無い。
ゴーヤチャンプルーも名店の島豆腐を使って、丁寧に卵液に潜らせて仕上げた上品な一品だった。当然美味しかった。何の問題も無い。
JazzyなBGMの流れる店内。何の問題も無い。
何の問題も無いけど、何かおかしい、、、。かな?
でもおかしくてもいいんだ。
今夜の最高のご馳走はギブくんとのカンバセーションなのだから。
実際、そうして昔のこと、今のこと、いろいろ聞かせてもらい、僕も話し、夜は更けていっった。
だけど冷房は寒かった。
「KAZAMI」を出て、時刻は22:00ぐらい。もう一丁行こうと歩き始める。
次はセンベロでいいだろう。そんな雰囲気だ。
でもここに来てもまだ何となく “グルクンの唐揚げ”の呪縛に足を引っ張られているかの様な我々3人であった。
もうどこでも良さそうなもんなのに、それに店はいくらでもあるのに、迷って彷徨う。
挙句の果てに入った店は、ホールのキッチンも全員ネパール人が回している居酒屋だった。
「自分もこういう店は初めて見ました」とギブくんも言う、島ネパのセンベロ居酒屋。 “グルクンの唐揚げ”などあるはずも無い。
何故この店にしたのか?分からない。よりにもよってこの店だ。分からないが、ここに座っていた。
隣りは太った退役軍人みたいな白人3人組だった。
この後、いろいろな局面で目にしたのだが、那覇はネパール人の侵食(侵食って言い方もアレだけど)の具合が進んだ街であった。
僕の理論で言えば、有力な家族が那覇に移り住んで、インネパのカレー屋を開き、成功すると家族を呼ぶ。その家族がまたインネパのカレー屋を開き、成功すると親戚を呼ぶ。
そうして有力な一族とインネパのカレー屋を中心とした連鎖で、ネパール移民が増殖していくはずなのだが、那覇にはインネパのカレー屋はさほど目にしなかっった。もちろん2泊3日でしかない僕の観察力は、街を見極めるには脆弱であるのだが、、、、。
ちなみにその件の詳細に興味がある方は、このブログのこのページをご覧ください。
那覇におけるネパール人の増殖は、インネパ・カレーの方程式には当てはまらない様に僕には感じられたが、もちろん、そんなことは余計なお世話だ。
ギブくんは、たまたまだが、僕らの宿泊している那覇ウエスト・インの側に行きつけのカレー屋があると言っていた。その店では、ギブくんは、ジェスチャーで美味しさを店の人間に伝えているらしい。
僕も行ってみたくなった。
代行運転を呼んで帰ると言うギブくんと別れてタクシーでホテルに向かった。
楽しく呑んだ。けど、飛ばし過ぎかも知れない。
知れないけど、まっ、いいか!
コンビニでご当地菓子パンを買って帰った初日の夜なのであった。