MUSIC

You don’t say so ! / ROSE JET’S

M1. 世末を叫ぶHAPPY TO DAY
M2. UGLY FACE
M3. 全ての怒りは奴の手に
M4. 愛を込めて

Original Released In 1984.
Digital Upload In 2024 By Child Painter Records

名古屋の伝説的パンク・バンド ” ROSE JET’S ” が1984年にリリースした幻の4曲入り7インチEP ” You don’t say so ! ” が、当時の彼らのレーベル “Child Painter Records ” から突如配信された。

” ROSE JET’S ” とは、国内に留まらず本土ジャマイカでも認められている名古屋在住のレゲエ・デュオ ” Ackee & Saltfish ” の、音楽活動の原点であり、アーティスト性を身につけた、その前身とも言えるバンドである。

レゲエとパンク・ロックというと音楽のスタイルとしては繋がりは直接的ではない様に思えるが、1977年から80年代に世界の音楽シーンを席巻したパンク〜ニュー・ウェイヴ、あるいはポスト・パンクと言われる音楽とレゲエは、精神性や社会的背景において深く結び付いている。

Ackee & Saltfishが、そんな小難しい理屈を捏ねて、パンクスからレゲエ化した訳ではないだろうと思うが、時代の雰囲気や、レベル・ミュージック的な精神性としては、無意識のうちに共鳴していたのではないかということは、十分に考えられる。

彼らは「ジャパレゲ」を聞いてレゲエを始めた訳ではないのだから。彼らは「ジャパレゲ」を作った最初期のアーティストのひと組なのだから。

1984年当時の名古屋のパンク・ロック・シーンについては僕は全く分からない。

ただ、80~82年が高校生時代だった僕は、パンク〜ニュー・ウェイヴを聴いて過ごし、その頃から出現し始めた日本語パンク・ロックもよく聴いていた。

The Roosterz、The Rockers、The Mods、ARB、Anarchy。

こうしたバンドはメジャーから作品をリリースし、全国展開をしていたので知名度は高かったが、そうしたバンドの他にももっといろいろなバンドがひしめいていることも雑誌「宝島」を通じて知っていた。

当時の雑誌「宝島」は、パンクを中心にトンがった音楽とファッションの雑誌だったのだ。まあ、そんなこと知ってる若いヤツは皆無だろうし、そもそもそんな雑誌、既に存在しない。でも現存する出版社「宝島社」には少しだけそんな精神を感じてはいるだが、、、。

名古屋のパンク・シーンと言えば ”The Star Club” というバンドが有名であったが、僕は ” ROSE JET’S “までには辿り着けていなかった。だが僕の知人の中には知っているという者もいた。そのまま続いけていたならもっと全国区の知名度を得た可能性はかなり高そうである。

僕が高校を卒業した後の、1984年辺りから、本場ロンドンのシーンにおいて「ハードコア・パンク」と呼ばれる原点回帰の様な運動が起こり、よりアンダーグラウンド化し、一部のバンドは、より過激化、より思想化したとも言えるかも知れない。

日本のパンク・シーンもハードコア化した。のちにメジャー化して人気バンドとなったLoughin’ Noseあたりもこの頃ら有名になっていったと思う。

今では割と簡単に「ハードコア」「ハードコア」と言うが、当時「ハードコア」という形容詞は「ポルノ」か「パンク」にしか付かなかったものだったのだ。

僕個人はそんなハードな感じに少し嫌気が差したのもあり、既にレゲエ(ダンスホールではない)を聴き始めていたのもあり、ソウル・ミュージックやファンクなど黒人音楽が好みの中心となり、パンクからは離れて行ってしまった訳なのだが、、、。

アキソルとは出会ってから33年、仕事をする様になって29年ほど経つ訳だが、本人たちの口からROSE JET’Sについてそこまで詳しく語られことは無かった。

だが、名古屋に移住してからというもの、いろいろな証言やら、肌で感じる雰囲気の様なものがあり、どうやら「高校生の時にちょっとやってたバンド」というレベルでは無かったものらしいと実感する様になってきた。

こりゃ当時に出るとこ出て、やることやってリャ、相当有名になったってくらい、人気も実力もあったっぽいぞ。でもそれをやらなかったところも含めて今とあんまり変わんねぞ〜。

何より、そのスピリットにおいて、ROSE JET’Sは継承されている。と思う。価値観と言い換えてもいいかもいいだろう。

「一発根性入れてかます」と決意した以上、ヤワな奴らとはつるめない。」とか。

「俺んたぁ、ゴッコじゃないんで。ゴッコしとったら ” RESE JET’S “に笑われる」とか。

「中途で潰えた夢の続きが今である以上、その頃を越えて行かねば、仲間に申し訳が立たない。」とか。

その価値基準が、 Ackee & Saltfishを、ある意味、ジャパニーズ・レゲエ・‘シーンの中で孤高の存在たらしめているのかも知れない。

全部僕の想像である。

チェーン・ソウの様なディストーションの効いたギター・サウンドを軸に、ダイナミックかつ小技も利かすドラム&ベースのコンビネーションは高校生とは思えないレベルのものだ。アレンジのセンスもいい。

それらに加えて何よりも、ツイン・ヴォーカルの存在感がハンパない。

ライヴでのバンドのセッティングに近い形でのミキシングから、2人の立ち位置が現在とは逆であろうことが推察されるが、声質は今よりも判別し難い。だが左右のチャンネルから解き放たれるガナリは、2匹のケモノが交互に攻撃してくるかの如く、そのインパクトは絶大だ。

ライヴでの姿が目に浮かんでくる(見たことないけど)。

そうしたサウンドの上に「ただ何となく生きるのもサイコーな気分さ」などと嘯くM1や、あらゆるイデオロギーを破壊することで逆説的に反戦を主張するM4など、興味深いリリックが多い。

彼等の決して長くはないだろう活動期にどれだけのオリジナル楽曲があるのか。録音物が現存しているのか。

聞いてみたいと率直に思った。

この12年後の1996年にAckee & Saltfishとしての1stアルバム「NAH TEK BACK〜男に二言無し〜」が発表される訳なのだが、そこで全貌を見せた彼等の音楽性は最初期からコンシャスかつカルチャラルなものだった。

アキソルは最初からただかっこいいレゲエだった。そういうものって実は当時あんまり無かったのだ。

その頃に出回っていた多くのジャパニーズ・レゲエ的な音源は、少しおちゃらけた、お笑いテイストのものが多かったことをここに付け加えておきたい。

そんなところにもROSE JET’Sの美学は継承されていたのかも知れない、などと思うのであった。

https://music.apple.com/jp/album/you-dont-say-so-ep/1772881663?l=en-US

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