Episode 3 : 名護へ。美ら海水族館行ってから全員集合! Day 3
10月19日、土曜日。沖縄旅3日目。
昨夜戻ってから寝る前に、昼間に儀武くんが宮城スーパーで買ってくれたサーターアンダーギーを食べてから寝たら、寝てて、メッチャ胸焼けがした。
それもあって、この日も6時頃に目覚めたのだが、睡眠の質も悪い。だが気分は相変わらず高揚している。
今日はいよいよ那覇を離れて、バスで中部へ移動。本部の方の美ら海水族館に行って名護の貸別荘にチェック・インだ。
取り敢えず朝食。2階の食堂に向かう。
テレ東の国分太一と栗原心平の「男子ごはん」で、以前、沖縄には味噌汁定食というのがあるというのを知った。なのでそれがあったので食べてみたかった。
味噌は白味噌みたいな色でやや甘く、出汁が効いた優しい味ではあった。卵がポーチド・エッグではなく温泉卵的なやつだったのが、ちと残念だった。
バスは10時37分に沖縄県庁前から出発。予約が入れてある。美ら海水族館までの所要時間は90分程度。ランチ時に到着である。なので昼食をどうしようか考えあぐねていた。
館内のレストランというのが最も手っ取り早いのだろうが、館内価格と混雑は当然予想される。周辺に歩いて行ける様な食堂は無さそうだし、せっかくの沖縄メシの1回分を、特に贅沢をするという意味ではなく、思い出に残るものにしたかった。
そんなことを前の日にポロッと儀武くんに話していたら、ホテルを出発してタクシーを呼ぼうと思っていた10時ちょい前頃に電話が。儀武くんからだ。
「茂呂さん。バス停まで送っていきましょうねえ。自分は今日は事務仕事だけなんで、現場に行かないんで。それで上間天ぷらさんでも行って弁当を買いますか?向こうで食べてもいいし、バスの中で食べてもいいし。」
それは願ったり叶ったりである。上間天ぷら店さんの弁当食べたかったのだ。いやあ〜、本当に有難いことである。
悪いと思いつつもお言葉に甘えさえてもらった。
「じゃあ、また明日。やんばるレゲエ祭で!」儀武くんと一旦バイバイしてバスに乗り込んだ。
バスの中、Mac Book AirをiPhoneのテザリングでネットに繋げて、少しだけこのブログを書いたりもしたのだが、すぐにやめた。何もそこまでしてやんなくてもいいか!
バスは、那覇と名護を結ぶ国内最南端の高速道路「沖縄自動車道」を直走り、12時を少し過ぎた頃に美ら海水族館のある「海洋博公園前」に到着した。
バスを降り立って最初に違和感を覚えたのが、大量にいる何かの啼き声。「何だ、これ。もしかして蝉?」
「ヒュンヒュンヒュンヒュンヒュンヒュンヒュンヒュンヒュン」みたいな、明らかに虫だと思うのだが、本土の蝉の声とは異なる大量の何かが周囲一体で鳴いている。
例えるなら秋の虫の声に近い様な気もするが、真っ昼間である。秋の虫って普通夜に鳴くでしょ。それに山の斜面からも聞こえてくる。
まあ、蝉であっていいんだけど、もう10月19日だぜ。流石、南国沖縄である。
「海洋博公園」は1975年に開催された沖縄国際海洋博覧会の跡地にできた国営公園で、公園内には、「沖縄美ら海水族館」の他にも、常時2000株以上のランや熱帯の植物を展示している「熱帯ドリームセンター」や「海洋文化館」といった施設もある。
更にここが無料エリアとは気付いてなかったのだが、イルカショーの「オキちゃん劇場」や「ウミガメ館」、「マナティー館」などもあった。
水族館に入る前に、公園のテーブルと椅子に腰掛けて、上間天ぷら店さんの弁当でまずは腹拵えすることにした。
僕はチキンカツの弁当。ゆっこさんはタコライス弁当だ。
そんな訳で腹拵えも終えたところでいよいよ美ら海水族館に入場である。
とにかく中国からの観光客の方が多かった。日本人の場合、若い男女の5対5とかぐらいのグループとか。まあ、しゃーない。
自分たちだってそういった観光客のひと組に過ぎない。でも僕が混雑したところが嫌いであることは、これはどうにも変えることは出来ないのだ。
海の生物の姿を楽しく見ながらも、ストレスと疲労感は、徐々に否定は出来なくなっていった。
水族館というものは結構好きだ。大水槽も見応えがあったし。2時間近くは堪能しただろう。もう満足である。て言うか混雑から離脱したい。
今日から3泊4日のベース・キャンプとなる「E-ホライゾン・リゾート名護」には16時からチェック・イン出来るとのこと。チェック・インといってもキー・ボックスの暗証番号を合わせて鍵を取り出して、勝手に施設の中に入るだけだ。
15時16分に名護市内方面へ向かうバスが来る。
コイン・ロッカーから荷物を取り出して、バス停に向かった。
同じ頃、羽田空港では横浜勢「チーム・ママチャイナ」は那覇に向けて出発するところ。
あとで聞いた話では、最終保安検査でポケットからと出したスマホを川瀬くんが受け取るのを忘れて、バッドな気持ちで飛行機に搭乗したのだという。
更に別動隊で同じ日程で沖縄に来ようとしていたオカピー選手は、湾岸道路の渋滞に巻き込まれ、なんと出発時間に間に合わず、旅行自体を断念することになったのだという。
そっちはそっちで珍道中が始まっていたのですね。
「E-ホライゾン・リゾート名護」の最寄りのバス停は「ホテル・リゾネックス名護前」というところだ。
ゆっこさんに当初のプランによるとそこにタクシーを呼べばワン・メーターぐらいで行くはずとのことだった。
前日に那覇のホテルのチラシで見かけたタクシー・アプリもインストールしたし、準備万端。意気揚々とバスを降り立ったのだが、、、、。
タクシーが来ない、、、。通りもしない、、、。
そのアプリで呼ぼうにも「近くにタクシーは居ません。」との表示が出るだけで無反応みたいだ。
すかさずiPhoneのグーグル・マップで位置情報を確認。
「徒歩約22分。ほぼ平坦な道」と出た。
しゃーない。歩くか。
意を決して歩き出した我々であった。
坂だね。立派な。
この道は坂道だね。
平坦だったのは最初の数100mに過ぎない。あとは激ヤバではないものの坂道だった。
スーツケースを引きながら歩く。途中からはゆっこさんが代わってくれた。
あの地図上のT字路の辺の自販機で飲み物を買う。更に歩く。
その坂道を歩くこと、20分以上。もう汗だくで、その目的地「E-ホライゾン・リゾート名護」に辿り着いたのだった。
まあ、2人とも疲労困憊である。
横浜組が到着するのは早くても19時以降。
僕は先に風呂に入らせて貰い、そのまま、2階のダブル・ベッドの部屋で倒れ込んで眠ってしまった。久しぶりの深い眠りだ。
ダブル・ベッドの部屋はひとつしかなく、他の部屋より狭いのだが、しょうがない。他の参加者は誰もカップルではないのだから。
その後、ゆっこさんは再度歩いて地図上にあるセブンイレブンまで行き、風呂上がりに呑む缶チューハイをゲットしてから、ゆっくり1時間ぐらいかけて入浴して、のんびり英気を養っていた様だ。
遠くで呼んでる、、、、。あ、電話か、、、、。電話が鳴ってる、、、、。
泥の様に眠っていた意識を、もがく様に覚醒させる。海の底から浮上していく様な感覚だ。
「モロくん!!着いたよ!!今、那覇!那覇!モロくん今どこにいんの!?」
林くんからだ。だいたい予想のついていたことだ。時刻は17時半頃か。
「ああ、オレらもう宿にいるよ。」
「オッケーです。オッケーです。今からそっち行くからさー。待っててくださいよー!ハーッハッハッハッ!」
「OKです。」
再び眠ってしまった、、、、。
あ、電話だ、、、、。また電話が鳴ってる、、、、。
時刻はそれから更に1時間後の18時半頃。
今度は今回のツアー・コンダクターとして献身的に全てのコーディネイトをしてくれた智からだ。
「もう高速を降りました。あと、30分ぐらいで着くと思います。」
「おお、お疲れさん、お疲れさん。待ってるわ。」
更にまた少しウトウトしていると、建物の外で「ゆっこちゃーん!」「あ、林くーん!」といった声が聞こえた。
起きる覚悟を決めて、気合を入れて「ヨッシャー!」と僕もベッドから起き上がった。
元気が服を着て歩いている様な男。林くん率いる横浜ママチャイナ一家の到着だ!
ここで、今回のツアー参加メンバーを紹介しておこう。それぞれの写真のシチュエーションの時間軸はバラバラである。
この6人に我々夫婦2人を加えたメンバーが「2024 秋 やんばるレゲエ祭ツアー」参加メンバーだ。
このうち、僕と林くん、アリスさんの3人は辰年生まれの還暦三人衆。ツアーのコンテンツの中にはアリスさんの希望で、沖縄ならではの景観の中で還暦記念撮影、というのも入っている。
僕としてはこのイベントを自分のイベントとしても重ね合わせ、還暦の祝いの慶事とするつもりでいたのだった。
ママチャイナ軍団との出会いは確か2000年頃。僕がアルファエンタープライズで働いて、ジャパニーズ・レゲエの制作にバリバリ取り組んでいた頃のことだったと思う。
当時世田谷の桜上水に住んでいた僕は、仕事の肥やしでもあるから、週末のみならず、東京近郊の顔を出すべきレゲエのイベントには精力的に顔を出していた。
第3京浜と首都高を飛ばせば横浜ベイホールぐらい、ものの30分ぐらいだ。当時のシーンでも熱かった横浜のイベントにもよく行っていた。まあ、飲酒運転全開ではあったのだが、、、。
で、当時から横浜界隈で有名だった「最強お客さん軍団」が、その「ママチャイナ軍団」なのである。
深夜1時や2時を回った頃に、何なら30人ぐらいの団体で全員入場料を払ってくれて現れ、呑めや踊れやの大騒ぎを展開し、彼等の登場如何が、下手すりゃイベントの成功を左右するぐらいの勢いの集団だったのだ。
その中心にあったのが、レゲエ好きの集まる中華料理店、黒瀬マモル・ユキ夫妻の営んでいた「ママチャイナ」なのであった。
要はママチャイナに屯していた常連客たちが、店を閉めた後の店主夫妻と一緒に、横浜のクラブに雪崩れ込んでいたのだ。
そんな中で僕はママチャイナのママこと、ユキちゃんと、いつの間にか現場で会えば乾杯を酌み交わす仲になっていたのだが、如何せん、彼女はベロンベロンのことが多く、その酔っ払いパワーを畏れていたサウンドマンは多くいたのであった。
だがママチャイナは、その繁盛のピーク時の2005年に突如閉店され、黒瀬夫妻は伊豆に移住した。
店主曰く「あのまま店をやっていたらオレは絶対何らかの形で逮捕されていたと思うんですよ。」とのこと。制御不能の客の盛り上がりに身の危険を感じての行動だったのだ。
多くの連中が「あれ、あれ、あれ」みたいになっている中、求心力を失った軍団は失速するのかと思いきや、店主不在のまま、ママチャイナ軍団はレゲエ・イベントに参加し続けて今に至る、みたいな感じなのである。
もちろん今でもその軍団の頂点はユキ姐こと黒瀬ユキさんと、マスター、マモル氏なのだが、当時からずっと今でも変わらず、横浜に居を構え、バケモノじみた肝臓でサバイブを続けるみんなの親分が、僕と同じ辰年だけど、3月産まれなんで学年はひとつ上の、林くんなのであった。
軍団メンバーの多くはサーファーである。
なのでサーフィンをやるアーティスト、ジュニア・ディー、パパ・ユージ、そしてアキソルらの出るイベントに行くのが大好き。今回もまるでジュニア・ディーの追っかけの様な状態で沖縄まで来た訳だ。
半年以上に渡ってグループLINEで情報交換・共有を重ねて迎えた旅行本番である。感慨深いものがあった。
で、早速メシに行こう!ということになり、近くをリサーチ。「琉球ダイニング家守屋」という店に全員で出掛けた。
林くんは結構同じことを何回も喋る。
旅行に出る前も電話で
「いやー、オレも沖縄のメシは何回も食ってるけどさー。あんまり美味いもんじゃあないね。ハーッハッハッハッ!」みたいなことを力強く言っていた。
この店に入ってメニューを見ながらも、元気一杯に同じ様なことを言う。
「いやいやいや、林くん。オレは結構好きなものもあるよ、天ぷらとか今回は何回も食べてるし、、、。」
「な〜に言っちゃんてのよ、モロくん!あんなの美味くねーよ。ハーッハッハッハッ!」
身も蓋も無い。
でも全然悪気もないから怯む気配すらない。
それが林くんである、
「じゃあ林くんは何が好きなの?」
「オレは大体、あんまり何にもそんなに食わねえもん。」
ガクっ!。。。。。。
「ハーッハッハッハッ!」「、、、、。ハーッハッハッハッ!」「ハーッハッハッハッ!」「ハーッハッハッハッ!」
もうファンキー過ぎて、これからの展開が全く以って楽しみでしょうがない。
「家守屋」さんを後にして、買い物をして、今夜は取り敢えず宿でゆっくり呑もう!
智の運転で、まずは沖縄のドンキ「ビッグ・ワン」に向かった。
「沖縄のドンキ」とはよく言ったもんで、電化製品から、衣料品から、食料品、お酒、お菓子、とメガ・ドンキ的な品揃え。
アレが無え、コレが無え、と半ズボンの老人たちが大騒ぎである。
あ〜、もぉ〜、メッチャクチャ面白い。
この後、コンビニにも寄って、宿に戻り、酒盛り開始。
かくして僕等夫婦にとっての3日目、ママチャイナ軍団にとっての初日の夜は更けていったのであった。