Episode 3: 最終話 Good Bye オレん家。でも思わぬ滞在延長の事態に、、、。
週明けて7月31日月曜日。
今日明日ぐらいで実家の残りの片付けを終えて帰るとするか。
先の週末は、実は母は土曜日からショート・ステイに行っていた。姉が元々予定があり、我々が来るのが決まる前からスケジュールを組んでいたのだ。それもあって我々も気兼ねなく帰郷を楽しめた。
そして今日の夕方に母が帰ってくる。16時頃にそれを出迎えることが新たなミッションとして加わった。車椅子生活の母の部屋は2階。2人掛かりで抱えて運ぶことが必須条件なのである。
だから今日の粗大ゴミ運搬は午前中に済ませた方がいいだろう。朝食を済ませて9時頃には家に向かった。
土曜日のうちにあらかた捨てるものはまとめてあったので、作業はスムースであった。積むもの積んで、久野にある小田原市環境事業センターに向かう。
ここに直接持ち込めばキロ25円で引き取ってもらえる。粗大ゴミで回収頼むと基本1件1000円。この日は自転車2台処分したのでそれだけで2000円してしまうところが、100kg処分して2500円だった。
軽トラのマニュアル操作も軽快に、引き上げることにした。
この調子なら予定を1日繰り上げてもいいぐらいの感じだが、既に8月2日に実家の借地権処理のことで不動産屋さんと会う予定が入っている。なんと不動産屋さんの彼は、少し前にCOVID19に罹患してしまったとのことで、感染予防の大事を取って、予定を繰り上げることも出来ないのだ。
しゃーない。姉ちゃん家でのんびりすっか!タイヤを3本交換して、CARAVANくんも無事帰ってきた。
長風呂夫婦である我々は16時に母ちゃんを出迎えて、早々に交代で長風呂に入り、姉ちゃんの帰宅を待って、母ちゃんも含めた4人で食卓を囲んだ。普段は母と2人きりの姉も、賑やかなのが少しは良かったのか、録画してあった彼女のお気に入りのドラマを、半強制的に、しかもちょいちょいネタバラシを聞かされながら、連続3話ぐらい観させられた。
まあ面白かったし、ワシらもハマったけどな。「ミステリと言う勿れ」。
8月1日火曜日。
朝、微熱だが母ちゃんが発熱していた。
保育士の姉は出勤しなければいけない。本来の予定ならデイサービスがお迎えに来て、母ちゃんは日中はそちらで過ごすはずだった。しかし発熱していたら受け入れてもらえない。訪問医療に電話した。
1年ぐらい前から母は訪問医療に来てもらっている。月イチで来てもらって薬なども処方してもらっているのだが、電話すれば来てもらえる。これにしておいて良かった。病院に連れて行くのもほんと大変なのだ。
いろいろ診てもらい、念の為に抗原検査をしてもらい、解熱剤を処方してもらった。急な入院を要するほどの症状でもないので、これで経過を見るしかない。明日も電話でやりとりすることにし、その日は様子を見た。でも翌日のデイサービスはまだ無理だ。
晩飯時には「ミステリと言う勿れ」を2話ぐらい見た。
8月2日水曜日。
当初名古屋に戻ろうと思っていた日である。でも無理だ。母の発熱は37度台半ばから38度ちょいぐらいを行き来している。
訪問医療に電話。午後に念の為にインフルエンザとCOVID19のどちらも判定できる検査をしに看護師さんが来ると言う。医師はお休みなので今日はそれだけ。経過を見るしかない。
10時の不動産屋さんとのアポのために、実家に向かう。打ち合わせは概ねいい方向の話を聞けた。そのことは良かった。
戻ると電話があり、間もなく看護師さんが来るという。この後今日もまた特にすることがない。奥さんに看護師さんの対応を頼み、1時間ばかりウォーキングすることにした。
僕には小田原でのウォーキング・ルートがあった。
自宅を出て酒匂川方向に住宅地を1キロぐらい歩くと酒匂川の土手近くに到達する。そこに川と並行してひっそり存在するのが「網一色今井霞散策路」だ。綱一色という地区から今井という地区を結ぶからこの名前なのだが、間に入る「霞」は遊びというか、ちょっとは洒落たと思われる部分である。命名された方が居るんでしょうな。
この道の真ん中ら辺の石碑のあるところを起点に、海方向に進み、並行している酒匂川の土手に出て、川の上流方向に進み、再びスタート地点の散策路の石碑ら辺に戻ってくると1.5キロ。ここを2周して家に戻ると5キロ、1時間ちょい。というのがかつての僕のウォーキング・ルートだ。
移住の間際はバタバタしていた。最後にあの道を歩いたのはいつだったろう。などと思い、いい機会なので写真も撮りつつ行ってみることにしたのだ。
NHK防災アプリの熱中症注意報がひっきりなしにApple Watchに届く中、久しぶりの道のりを歩く。常に音楽を聴きながらだ。この日はYOSHITAKE EXPEさんの [EMERALDA] がお供ミュージックだった。
小田原を離れるに当たって、自分の感情がイマイチよく分からない。あまりノスタルジックな感じが湧かないのだ。
そもそも両親とも小田原の人では無いので、地域との結び付きは希薄だった。小学生の頃、子供会は上級生にいじめられたから嫌いだった。行事にもあまり参加しなかったし、神輿も担がなかった。自治会、商工会とも無縁だ。
地元は普通に好きである。仲間もいるし。慣れてるし。地理的にいい場所だと思っている。でも固執はない。
社会人になってからは、最初の就職で東京に3年。2年金貯めて、ジャマイカから戻って小田原でレコード屋やってたのが4年。再び東京で10年。名古屋にもアパート借りて行き来してたのが3年ぐらいか。結婚してからは小田原ベースになって12年。そんな感じのこの30年ぐらいの歳月だった。
ヒップホップ人やレゲエ人は「レペゼン地元」みたいなことを言うのが好きな様に思うが、好きなのは当たり前だからワザワザ言う必要性を感じない。あえて言うならガイアを大切にしたい。
新たな生活や、未知の世界である西日本に興味がある。妻を信頼している。彼女と生きることが最優先事項だ。このブログも移住してから始めると決めていた。小田原に居ても始められたことなのに。
いつもは歩くだけだったこの道で、ちょっとだけ座って休憩して、そんな想いを巡らせてみた。でも特に寂しくはならなかったので、小田原に決別してるっぽいポーズの写真だけ自撮りしてみた。
汗ビシャで姉の家に戻り、水シャワーを浴びた。母ちゃんはコロナでもインフルエンザでもないことだけは確定した。ベテラン看護師さんにギューギュー鼻の穴をやられたらしく、ぐったりして寝ていた。
今日はまだ水曜日だ。姉の次の公休日は週末。急激な回復がない限り、まだ名古屋には帰れそうもない。
8月3日木曜日。
訪問医療の先生と朝イチで電話で話し、今日また来てもらうことにした。ただの風邪か、軽い肺炎か、高齢女性によくある尿路感染症か。これまでは解熱剤しかなかったので、抗生物質の処方をお願いした。これで快方に向かわなかったら入院しかない。
若干熱が下がり始め、会話が成立し始めた。このまま快方に向かってもらいたい。この夜も3人で「ミステリと言う勿れ」を2話ぐらい見た。
8月4日金曜日。
明日になれば姉も公休日だ。
熱も36度台だ。ご飯も食べるし、会話も出来る。姉の帰宅は16時過ぎ。14時ぐらいまで様子を見て、名古屋に帰ることにした。もう用意してきた僕の薬も切れてしまったのだ。多少のズレもあるが、今日戻ってすぐ服用すればギリなんとかなる。
午前中に自宅に戻り積み込み。案外今回の荷物も多かった。でもCARAVANくんなら大丈夫。4ナンバーの貨物登録車だ。
姉の家に戻りシャワーを浴びて、昼食は蕎麦を食べる。残りの時間で「ミステリと言う勿れ」を1話見ると、あとは最終話だけになった。
14時過ぎ。姉には申し訳ないが小田原を発った。僕が移住すると言うことになって以来、懸念されてきた事態ではある。今回たまたま僕らが滞在中にそれが起きたので、少しは対応出来た。もうこれからはそう言う時は入院させてもらうしかない。もちろん申し訳ないとは思うが、母はそうした段階を経て、来るべき日を迎えるのではないだろうか。
新東名を運転しながら、100%爽快な訳ないが、少しホッとした気分になった。掛川のSAまで運転して奥さんに代わってもらった。代わってもらってから後は、SOUL JAZZ RECORDS内のレーベルUNIVERSAL SOUNDが編集したJACKIE MITTOOの [THE KEYBOARD KING OF STUDIO ONE] を聴きながら名古屋へと向かった。
ブログ開始して最初の旅は何だか少しホロ苦い感じの印象を残した。
まあでも楽しいことも沢山あった。残っていたキャンプ道具も積み込んだ。これで名古屋拠点の旅がやっと本格的に始められる。
それではGood Byeだ、オレん家。そう思えば少しは寂しいかもしれない気がしてきた。