2025年もとっくに明けてますが、、、。
昨日10日振りに家の外に出た。
ということは昨年の12月28日以来、ということになる。
何をしていたかと言えば、寝て、食って、出して、風呂入って、寝て、を繰り返していただけだ。
前回の投稿でも述べた通り、抗がん剤「ドセタキセル」の副反応の骨髄抑制で白血球が激減してしまい、25日、26日、27日、と3日連続でノイトロジンという注射を受けて様子を見ていた。
だが、病院が年末年始モードに入ったのに伴い、最後のノイトロジン投与の結果を確認する血液検査が年越しになってしまい、白血球回復の数値的な確証のないままの状態だったというのもあり、引き篭もっていたのだ。
まあ、多分大丈夫だったと思うんだけどね。
そして1月6日、血液検査を受けに愛知県がんセンターに行くために外に出た訳だ。結果は880だった白血球は3180まで回復していた。
健常者の白血球は上限値が8600、下限値が3300なので、まあまあだ。これでしばらくちょっとした外出も叶うだろう。
白血球が880しかない状態でインフルエンザとか罹ったらマジで死にかねないからね。
この間、12月30日から脱毛が始まった。
事前にロン毛からセミ・ロングぐらいに切っておいたのだが、30日の朝起きて、襟足を手櫛で漉いたらゴソっといった。
さほど驚くことはなかったが、枕や服に抜け毛のゴミが酷く、ついつい襟足などを手櫛で漉く毎にゴソっと行くのが鬱陶しい。更に風呂に入って洗髪する毎に、ひと回りづつ頭が小さくなって行く。
このままでは温水洋一みたいになってしまうと思い、1月1日に第一弾カット。それも何か中途半端で嫌だったので、1月2日にバリカンとしても使用出来るヒゲ・トリマーで9ミリ均一に刈ってしまったのであった。
ちなみにロン毛時代からの変化は以下の通りだ。
坊主にしてみると、何と頭頂部にホクロがある事が発覚した。
60年生きてきて、短めのヘア・スタイルは何度もやってきたが、坊主は初めてなので、今までそんなところにホクロがあったとは知らなんだ。
我が家ではそれを「やる気スイッチ」と呼んでいる。
絵にしてみるとこんな感じである。
思ったより坊主も悪くない。遅かれ早かれ一旦はツルツル頭になるだろう。その時はその時で楽しみにしておこう。
と言った訳で、2025年の前半は、4週間毎に、ドセタキセル投与→白血球減少→2週間ぐらいは警戒→やや回復して2週間ぐらい過ごす→ドセタキセル投与、をあと5回繰り返し、予定通りなら5月7日が最後の投与で、その4週間後、6月4日以降に今後の治療方針が決まって、社会復帰出来るのかなあ、なんて感じになりそうだ
でも社会復帰したとて、今度の社会復帰は若干慎重にならざるを得ない。
前立腺癌の罹患が発覚した2022年の6月は、最初の治療方針であったホルモン剤の効果はすぐに出て、それはすぐに安定し、ほぼ健常者と変わらない生活が実現した。
その間僕は小田原での最後の夏をケイシロウと一緒に彼の店の運営に費やし、年内で音響の仕事終いをし、2023年の前半の半年間は実家の片付けと引越しに専念。同時に借地権の非訟事件の申告を裁判所に起こし、2024年の9月にやっとそれが終わったと思ったら、癌が抵抗性を持ち始めてしまった。
僕の場合、骨転移とリンパ転移が既に5箇所あるので、外科的方法で何とかなるものではない。原発巣である前立腺癌を押さえ込むことで転移箇所も押さえ込むしか無い。
何度も同じ様に病気と共存出来る保証は無い、ということが今回分かった訳だ。
ならば、、、。
自分の時間は無駄に出来ない。無駄と思える時間は過ごしたくない。
そんな風に思うのである。
辛気臭い話だが、あまり変化の乏しい日常を送らざるを得ない感じだ。とうとう闘病ブログみたいになってきてしまった。
まあでも出来るだけそんなつまんない風に暮らしていくつもりは無い。
読書、音楽鑑賞、映画鑑賞、などガンガンするし、自分のPCのスキルも向上させて行くつもりだ。
更に妄想旅計画もやって行こうと思っている。” Inner Trip “だ。社会復帰後に旅に出るための下調べである。実際に行ける現実的なところから妄想まで、してみたい旅はたくさんあるのだ。
ハア。あんまり色々宣言しちゃうと、やらなかった時が気まずいのでこれぐらいにしておくが、そんなこんなの2025年のスタートだ。
出来る限り楽しむつもりではある。