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残穢/小野不由美

不動産ホラーの先駆的作品であり、昨今流行しているモキュメンタリー小説の作風とも一線を画す、実際のルポルタージュとも創作とも判別のつかないリアリティが淡々とした恐怖を醸し出す、小野不由美の第26回山本周五郎賞受賞作。

作中、はっきりとは明かされないが、作者自身と捉えてほぼ間違いの無い「私」という女流小説家の1人称のひとり語りで物語は進行して行く。

職業作家として活動し始めた初期に、中高生向けのライト・ノベルのフィールドで伝記物やホラー小説を書いていた「私」は、当時の刊行物の後書きに、読者に向けて「怖い話があったら教えて下さい」と実話怪談の募集をしていた。

現在ではそうした募集はしてないのだが、当時の読者や、古書でたまたまそうした後書きを読んだ読者から、今でもたまに便りをもらうことがある。

その中のひとつに「久保さん」という、東京郊外の、とあるマンションの一室に住む女性から「無人のはずの和室から箒で畳を掃く様な物音がする」といった内容の手紙を受け取る。ある時には、女性の和服の帯の様なものが、畳の上を、サッと横切った様に見えたこともあったと言う。

何となく心に引っ掛かるデジャヴの様なものを感じた「私」は、過去にも同様な内容の手紙を別の人物からもらった様な気がして、調べてみると、全く同じマンションの別の部屋の住人から似た様な怪異についての報告を、2年前に貰っていたことに辿り着く。

こうしたことをきっかけに「私」と久保さんの、そのマンションの建っている土地の因縁を探る、7年にも及ぶ過去への旅が始まったのであった。

調べて行くうちに、そのマンションの敷地にまつわる不吉な因縁の連鎖は、前世紀末、高度経済成長期、戦後、戦前、明治大正期まで遡って行く。

徐々に「私」にも久保さんにも顕れる異変。

あくまで科学的に論理的に解釈を加えようとする「私」なのだが、「私」も久保さんも、この案件に固執し続けて、離れることが出来ない。

不気味な符号は多くあるが、偶然やこじつけと言えないこともない。その辺のことを「私」は「私たちの世界観が試されている」という言葉で表現している。

やがて「私」の思索は、日本古来の考え方、「触穢」(そくえ)に思い至る。「触穢」とは、穢れに触れると「障り」が伝染する、と言うものだ。

これは祟りや呪いとは違い、特定の何かや誰かにに復讐するといった様な意図を持っておらず、事故の様なもので、穢れに触ると「障り」 が生じ、それは無差別に伝染する。特に死によって生じる「死穢」は最も忌むべき、遠ざけるべきものである。

しかしながら、その伝染力は無限ではない。延喜式によれば、3代でその感染力は失われ、代を継ぐ毎に、障りの度合いも弱体化していくという。

だがそれではマンション敷地の凝った穢れが残り続けている「残穢」の説明にはならない。「私」は穢れは、連鎖し、積み重なることによってブーストされ、より強力なものとなってその土地に凝るのではないか、という仮説を立てる。

そして辿り着いたのは、遥か福岡県。北九州最恐の、語るだけで障りが生じると言われる「奥山怪談」との繋がり。そしてその震源地、旧真辺邸跡地であった。

「私」と久保さんはこれまでの思考の旅に区切りを付けるべく、作家仲間の手引きを得ながら、旧真辺邸の廃屋に足を踏み入れるのであった。

本作は、実は、数年前に読んだことのある作品なのだが、とあるきっかけがあって読み直してみることにしたのであった。

そのきっかけと言うのは、最近、やたら何度もその名前が出てきてしまうのだが、例の「平山夢明のシネマ de シネマ」という映画解説動画だ。その動画のある回の中の、ギンティ小林の「そう言えば『残穢』で、平山さんの役を佐々木蔵之介さんが演じてられましたもんね〜。」という何気ないひと言に、僕の耳が反応したのだった。

映画「残穢」は、その作品がアマプラで視聴可になってすぐぐらい、映画公開が2015年みたいだから、多分2016年やそこらにとっくに見ている。

原作も同時期に読んだ。映画→原作の順だった。

そう言えば佐々木蔵之介がパナマ帽被った作家の役で出ててなあ。あれは平山夢明だったんか、と思った。

で、久々に映画「残穢」を見直してみたのだった。

原作では実名のままだが、映画では「平岡芳明」という役名で、まんまと佐々木蔵之介が平山夢明を演じていた。本人のキャラが破壊的過ぎて、それを知ってる者には、到底演じ切れるモンでは無いのだろうと思ったのだが、お話の中では成立していた。

映画はやはりホラー作品である以上、何となく怖い映像が必要になるのだろう。ラストの黒い影が這いずってるシーンなどは要らないと、個人的には思う。原作の淡々とした感じを忠実の描いた方が、僕には好みだ。

とまあ、実はそんなことはどうでも良くて、、、。

本来、平山夢明役の佐々木蔵之介を見たいというなんてことないイージーな動機から観直した映画「残穢」だったのだが、初見の時には絶対に感じ得ない何かがあった。

それは、「私」を演じられた、主演の竹内裕子さんが2020年に亡くなっている、ということだ。

竹内結子さんのご冥福を心からお祈りいたします。

かけがえのない、素晴らしい俳優さんだったので、本当に残念なことだ。

そしてもちろん彼女の死を、映画「残穢」に主演したことに結び付ける様な乱暴なことを言うつもりはない。

ただ言い様のない思いが押し寄せてきたことは確かだ。何だろう。簡単に言えば「切ない」。そんな感じだ。

そして、映画を観終わった頃には、どうしてもこの原作を読み直さなければいけない気分になっていた。

何だろう。もっとちゃんとこの話を知ってなきゃいけない。

そんな気分だったのかも知れない。

その夜から3晩ぐらいで読み切った。

改めてじんわり怖い本だった。

本作は書き下ろしで、2012年7月に最初に刊行されたものなのだが、物語は2001年から始まって2008年辺りまでの出来事を描いている。

そして作中で「私」は、この事件きっかけで、かつて読者に呼び掛けて蒐集した怖い話のネタを整理し始める。

現実世界では「私」ではない筆者本人小野不由美さんが、怪談専門誌「幽」に、2004年から2010年に渡って実話怪談「鬼談草紙」を連載し、それを「鬼談百景」という1冊にまとめて、同じ2012年7月に出版している。

その本は「百景」と言いつつ99話しか収録されていない。

つまり本作「残穢」を加えることにより100話が達成される、という趣向になっているのだ。

古より百物語は100話語ってはいけない、とされている。100話語ると実際に怪異が起こると考えられているからだ。

全く、もう。

趣向を凝らすにも程がありますって!!

怖いですって!!

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